神の詩 第一章第二十三節
「ドリタラーシュトラの邪悪な息子(ドゥルヨーダナ)を喜ばせようとして、この戦場に集結した人々を、私は見極めたい。(二十三)」
ドゥルヨーダナのことを
ドリタラーシュトラ王の邪悪な息子
という表現をしています。
ドリタラーシュトラ王の邪悪な息子
という表現をしています。
これは、
邪悪な性質ドゥルヨーダナの背後には
ドリタラーシュトラ王の存在があることを示しています。
邪悪な性質ドゥルヨーダナの背後には
ドリタラーシュトラ王の存在があることを示しています。
今回の戦争も、
ドリタラーシュトラ王が
自分の欲望よりも、
正義の道を貫いて行動していれば、
起きることのなかったことです。
つまり、
人が悪しき行動をする背景には、
欲望や利己主義という背後に隠れた元凶があるのです。
人が悪しき行動をする背景には、
欲望や利己主義という背後に隠れた元凶があるのです。
さらに周囲には、
ドゥルヨーダナを喜ばせようとする人々がいます。
ドゥルヨーダナを喜ばせようとする人々がいます。
それは、
悪しき心によって
さらにその性質が
人の中に拡がってしまうことを意味しています。
欲望や利己主義から始まる行動は、
多岐にわたり拡がっていきます。
「ドリタラーシュトラの邪悪な息子(ドゥルヨーダナ)を喜ばせようとして、この戦場に集結した人々を見極めたい」
とは、
無知に依存する誤った自らの心の状態を
心の根源に照らし合わせて見極めたい
という意味になります。
とは、
無知に依存する誤った自らの心の状態を
心の根源に照らし合わせて見極めたい
という意味になります。
無知に依存する誤った心の状態は、
その大元に神の摂理から外れた意識に由来します。
その大元に神の摂理から外れた意識に由来します。
それは
神の摂理に沿った本来の意識の働きを
阻害するものです。
それがここでは、
戦場に至ったパーンダヴァ兄弟とカウラヴァ兄弟の確執状態で表現されています。
瞑想の積み重ねによって、
神の摂理から外れた意識は次第に補正されていき、
最終的には完全に消滅します。
神の摂理から外れた意識は次第に補正されていき、
最終的には完全に消滅します。
それにはまず、
心の苦しみの原因となっている無知に依存する
誤った心の状態を内観することが重要だったのです。
密教の本尊瑜伽と称される瞑想法の中では、
穢れた煩悩の心を清浄な智慧の心で置き換えていく方法がありますが、
ここでは
ドゥルヨーダナ率いる軍隊を
アルジュナ率いる軍隊で駆逐していく様子として表現されています。
穢れた煩悩の心を清浄な智慧の心で置き換えていく方法がありますが、
ここでは
ドゥルヨーダナ率いる軍隊を
アルジュナ率いる軍隊で駆逐していく様子として表現されています。
瞑想は、
心と意識を正しく繋げて統合していく役割があります。
心と意識を正しく繋げて統合していく役割があります。
心の本性は空であるとはいえ、
人が地上にいる間は現象としての心の中にいます。
まずは、
この二つを認識します。
それによって道が開けるからです。
瞑想によって、
現象としての心から空性の心へと向かっていきます。
現象としての心から空性の心へと向かっていきます。
空性の心には誤りがありませんから、
瞑想の積み重ねによって
無知に依存する誤った心の状態が
ゆっくりと補正されていき、
最終的には消滅します。
次は重要な節に入ります。
サンジャヤ
「バラタ王の子孫(クリシュナ)よ、アルジュナにこう言われて、クリシュナは、両軍の中間に、ビーシュマとドローナとすべての王達の面前に、最強最高の戦車を止めて言った。「ブリターの子(アルジュナ)よ、集結したクル族の人々を見よ」と。
(二十四、二十五)」
Source: ひかたま(光の魂たち)
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