下谷七福神巡りの5社目は、“朝日辨財天”を祀る「辨財院(べんざいいん)」です。毘沙門天の法昌寺からは、一旦大通り(昭和通り)に出て、徒歩10分ほどで到着します。
“弁財院公園”という名の公園と併設しており、周りを昔ながらの住宅やビルなどに囲まれ、とても静かな境内です。
本堂右脇には“弁天池”があり、やはり弁財天をお祀りする場だなぁと実感いたします。
元々はかなりの広さを誇る池だったようで、それが時代を経てコンパクトに整備されました。
弁財天と言えば七福神のなかで唯一の女神ですね。水(河)の神で、音楽・芸能上達の他、知恵や財宝、さらには縁結びに御神徳があるとして長らく親しまれている神です。
こちらの弁財天は八臂(はっぴ=手がハ本)だそうで、大変珍しい御姿です。
わたくしがお参りした日には開帳されておりませんでしたが、いつか機会がありましたら拝見したいです。
本日は、辨財院の本堂にていただいた神の御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「“不協和音”ーーー
互いに和する(調和する)ことなく、果ては(=結果として)これより(=これに起因して)立ち込める不安定とそして懸念(心配)は、人の世をどこまでもそぞろなる心(=不安)に陥(おちい)らせます。
まるで一滴の汚濁が、一つまたひとつと(汚濁の)輪を作り全体に広がるように、静かに波紋を広げ、果ては大きく世を揺るがすこととなる。
それがまた、人の挙動(=言葉や行動)をも影響を及ぼす、この連鎖は、世(現象界)における実に甚大なものと捉(とら)えなければ(=理解せねば)なりません。
自らが今まさに、どのような“音”(響き)を奏(かな)でているかーーー その姿、振る舞い、そして身より発せられる言葉こそ、今一度省みるべきです。
慎ましき、素朴なる姿は、たとえ華美ならずとも、その姿より出だす(=発せられる)音は他(周囲)と馴染み、ここにおける協和は、素晴らしき重奏をも見せる(発する)ことでしょう。
今、目前の協和(=人と仲睦まじくすること)に専心すること、それはなお、長らくこの先(=未来)へと続く、まさに希望の階(きざはし=階段・ステップ)でもあります。
今も心地よく、そして遠く未来へも、その音(=協和)が引き継がれるとしたならば、それこそこの世は、先ゆくほどにより一層の喜びを見い出せる(=導き出せる)、誠に麗しき学び舎(まなびや)と思いませんか?
互いに争うなら、むしろ尊(たっと)ぶ心を。そして互いに相反するなら、歩み寄りを。
これが、協和の心です。
人々の身より出だされし物事(※ここでは、人の言動や生き方などを指します。)によって、果ては導かれる事柄のその様(様相)は、人の心身に(良し悪しの)“実感”を緩みなく示していくことでしょう。
改めるなら、まさに今、このときです。
いつか巡りくる御代(=未来)のために、あなたのその姿こそは、いつでも美しき音を奏でることを、日々の糧(=目標・指針)とされなさい。」
(次回⑥へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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