神の詩第二章第七節 1

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神の詩第二章第七節

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「私は弱気に圧倒されて理性を失い、何をすべきか迷っている。願わくは、何が良いのかをはっきりと語りたまえ。私はあなたの弟子である。あなたに救いを求める私を導きたまえ。(七)」

アルジュナはここで
クリシュナの導きを請います。

アルジュナは
自力では成しえない高い視座を求めています。

これは
アルジュナが
大きな変換の時期にいる
ことを示しています。

霊的進化において、
より高い視座を求めることは良い事です。

戦国時代から安土桃山時代にかけて
茶聖の地位を確立した千利休。

彼の茶道の心得は、
弟子たちによって百の和歌にして残されています。

その最初の第一首は、

「その道に 入らんと思ふ心こそ 我身ながらの 師匠なりけれ」

どんなことでも、
その道を探し求める強い決意こそが、
自分の立派な師匠となり、
その道を歩む強い原動力となる

ことを述べています。

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見い出すであろう。門を叩け、そうすれば、開けてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門を叩く者は開けてもらえるからである。」マタイによる福音書7:7-8

「もしいつも探求心があるのであれば、智慧はやってくるだろう。」北米先住民アラパホー族

アルジュナは、
多くの戦争で勇者として活躍してきました。
今までの戦争でアルジュナは、
あたかもすべてを知り尽くして振る舞っているかのような
勇敢な態度を示していました。

でもそれは、
表面的には完璧な戦士であっても、
完全に無智からくるものでした。

人は
完全な無智の状態では、
怖しいほどに無慈悲でいられるものです。

相手の立場や命を考えることなく、
戦い、
殺すことができるからです。

この時期には、
低次の自己を
高次の自己と完全に勘違いしています。

人は、
無智により利己心が強くなればなるほど、
あとで自分の苦しみが大きくなっていく行為を繰り返すことになります。

クリシュナは、
戦争の英雄アルジュナのことを、
クリパナ(無明にいる者)
と呼びました。

無明にいる者とは、
貧しく侘しい人のことを示しています。

それは
アルジュナの勇敢で志高く王家の気品ある表面的社会的な人柄のことではなく、
もっと本質的な
高次の観点から観ているからです。

アルジュナの意識が、
この時点で無智の中に埋もれていたからでした。

無智の状態から叡智を理解し始める段階、
無慈悲から慈悲への移行期間に入ると、
その状態に圧倒されてしまいます。

アルジュナが、
良心の呵責に押しつぶされて、
弓を投げ出して苦悩した段階です。

エネルギーの流れが変化する時には、
心の状態に大きく影響します。

日中から夜に移行する夕暮れ、
夜から朝に移行する夜明け直前、
苦しみから喜びに移行する混在した気持ち…
大きな変遷が起こります。

ちなみに、
夜明けと夕暮れの時間帯は、
光と闇の二元性のエネルギーバランスがとれているために、
瞑想には適しています。

その移行期を抜けると、
無智の勇敢さとは違う慈悲への勇敢さが一気に芽生えます。

日の出によって
太陽が地平線の向こうから顔を出すと、
一気に光に包まれていくように、
私たちも変わらなければなりません。

続きます。

神理の扉 聖なる変容と霊性進化の道
光田秀
きれい・ねっと
2020-04-12


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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