神の詩 第二章第二十七節 2

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神の詩 第二章第二十七節

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「生まれた者は必ず死ぬ。死んだ者は必ず生まれる。だから、汝はこの避けられないことを嘆くべきではない。(二十七)」

続きです。

今この瞬間を大切に、
感謝の気持ちを込めて
生きることだけで充分です。

人が生まれてくる理由は一つです。

人は、
偶然地球に生まれてくることなどありません。

明確な目的を持って、
地上に下りてきて、
そのことを忘れてしまっています。

明確な目的とは、
地上でのさまざまな体験を通して
魂を純化していくことによって
真理を理解し、
同時に
他の存在が地上に来た目的も理解し、
創造主と合一できるまでに波動を高めていくことにあります。

それがわかっていれば、
輪廻転生も死も嘆く必要も意味もありません。

釈迦大師の教えは、
「涅槃経」の中に次のように記されています。

諸行無常:体と心は常に変わり続け
是生滅法:生じたものは法により必ず滅する
生滅滅已:生じて滅することに囚われなければ
寂滅爲樂:静謐の中で至福に至る

人は
物質界に肉体を持って生まれて、
成長し、
老化して、
死に至ります。

それは例外なく
自然界の法則であり、
あるがままの姿です。

この自然の理を嘆いても
何の意味もありません。

智慧を持って
心と身体の無常を法則として理解することで、
「生」への執着は薄れていきます。

「生」への執着が薄れると
「死」への恐怖も薄れていきます。

これは、
心と身体が真の自分ではなく、
真我であることを確信する一歩となります。

人の一生を季節に当てはめると、
生まれて成長する「春」、
命の最盛期を迎える「夏」、
ゆっくりと肉体が衰えていく「秋」、
死を迎える「冬」。

そして
死によって、
また生まれ変わり、
春を迎えます。

それが自然の摂理です。

四季の美しい移り変わりだけを見ても、
何一つ移り変わらないものはないことが
よく理解できると思います。

同じ状態のままで固定されるものは、
この世界には何も無いのです。

それにも関わらず、
人は、
冬になり、
次の春が来ることを忘れてしまい、
嘆き悲しむのです。

永遠なる真我を顕現する聖賢たちは、
健康や富や物質的な成功には終わりがあり、
刹那的なものと教えます。

永遠なるものを無視したまま、
刹那的に消えていくものばかりに夢中になるのは
愚かなことと諭しています。

「死ぬということは、霊が肉体から抜け出して霊的な姿を現す過程のことです。」シルバー・バーチ

「人は、物に執着してはならない。物にこだわりすぎると、その人は精神的バランスを崩してしまう。」北米先住民の言葉

次は

「万物の起源は目に見えない、中間の状態は目に見える。最後は再び見えなくなる。ここに何の嘆きがあろうか。(二十八)」

よく内観してください。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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