知りたいのは、母が逝った時刻。

先日、
しばらく会っていなかった父から電話が来た

「母の七回忌の日取りが決まった」

というものだった

『その話なら、
 なにも日曜の朝7時半じゃなくても...』

こんな時間に電話が鳴るものだから、

「なにかあったのではないか」

と、心臓がドクンとする

それでなくても6年前の今頃は、
母が余命幾ばくもないとき

「いつ連絡が来てもいいように」

と、
携帯を握るようにベッドに入っていた

そのときの恐怖感や不安感が
未だに残っている

母が亡くなって、
ひとつだけ残念だと思うことは、
看取ることができなかったこと

「今、病院から電話が来て、
 お母さん、亡くなったって...」

と、父から連絡が来たのは、深夜0時53分

「あと1週間だと思ってください」

そう医師から言われた日の夜のことだった

「一週間」という担当医の言葉に、
私たち家族は安心していた

「急変もあり得ます」とは言われてはいたものの、

『少なくとも、あと3日は猶予がある』

そう思っていた

身体はもう動かなくなってはいたが、
その日の夜まで食事も摂っていたのだ

まさかその日に亡くなるなんて、
きっと誰も想像していなかっただろう

それはきっと、担当医も同じだったと思う

父との電話を切ってから身支度を整え、
タクシーを呼び、
病院に駆けつけたのは何時になっていただろう...

父はすでに病室に来ていたが、
それから十数分...数十分、
担当医の到着を待った

死亡確認は、家族が見守る中おこなわれる

そのときすでに、1時45分になっていた

病室に着いたとき、
すでに亡くなっていた母

その身体のぬくもりは、
まるでまだ生きているかのように温かかった

そして思った

『母はいつ息を引き取ったのだろう...』

と...

『死亡確認の時刻より、
 母が逝った時間を知りたい』

と...

夜中

独り、薄明りの質素な病室で亡くなった母

淋しくはなかっただろうか...

こんな母の状態だ

看護師さんもこまめに
見回ってくれていたはず

が、

『その数十分の間に、
 きっと母は独り死んだのだ...』

そう思うと、孤独にさせてしまったことに
なんとも言えぬ感情がこみ上げた

『仕方のないこと』

そう思っても、
頭の中で整理することと感情は別物だ

一生知ることのできない、
本当に母が息を引き取った時間

一生忘れることができないであろう、
母を独りにしてしまったこと――

  今回の法要は、
  コロナの影響でなにもできない

  この街から
  車で6時間ほどの街に住んでいる妹さえも
  来るのをやめた

  私も正直、
  実家に行くのがはばかられるのだが...

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Source: りかこの乳がん体験記

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