神の詩 第二章第四十五節
サトヴァ(善性・純性)、
ラジャス(激性)、
タマス(鈍性)
です。
平穏であるものの、
少しでも不均衡が生じるとその差異が変動を生み出し、
あらゆる種類の形態へと発展していきます。
それがこの宇宙を形成していて、
私たちのいる地上は
三つのグナによって
複雑に形成された末端部分になります。
つまり
グナの観点から見ると、
私たちを含めすべてのものは、
この三つのグナの均衡によって作られています。
サティヤ・サイ・ババ大師が、
扇風機の三つの羽に喩えて
わかりやすく説明しています。
涼しい風を作ることはできません。
三枚の羽が揃って動くときに、
一つの羽のように振る舞い扇風機は
風を作ることが出来ます。
三つのグナが一つに融け合ったときに、
はじめて至福の状態に至るのです。
三つのグナに相当します。
知性理性がスイッチです。
アートマから放たれているエネルギーが電気になります。
効率よくマニュアルによる要領の良い楽な方法が
もてはやされるようになりました。
でも、
それは一歩間違えば、
タマス(鈍性)の性質に囚われることになってしまいます。
十年間老舗の鮨屋で修業するのと
三か月鮨の学校でマニュアルの勉強をするのとでは、
どう違うのでしょうか。
やはり
十年分の技術の中には、
目には見えない精神や
マニュアル化できない技などが
しっかりと身につくはずです。
それらは、
数か月のマニュアル教育では得ることができません。
喜びだと思うかは、
三つのグナがバランス良く融合しているかどうかによります。
マニュアルのスピードコースはありません。
地道に歩んでいくしかありません。
一歩一歩自力で歩かなければならないのと同じです。
老若男女、
地位や名声に関係なく、
誰もが自分の足で
確実に歩んでいくのです。
苦行など必要ない
という風潮ですが、
苦行も心構え次第で
とても役に立つものなのです。
どんな時代であっても、
苦行の持つ大切な力を無視することはできません。
神と別れていること自体が
苦行だといいます。
苦行を喜びに変えるのが
三つのグナの調和です。
相互作用によって成り立っているので、
どれか一つが単独で存在することは出来ません。
そのため、
このグナの影響から離れる時には、
三つのグナすべてから離れる必要があります。
それにはまず、
物質世界から精妙な世界へと移行していく必要があります。
ここは
サンスクリット語では
niryyoga-ksemah
となっています。
これは、
この状態では持っていないものはなく、
また、
持っているものを所有する必要が無い
という意味が含まれます。
すべてこの所有欲や征服欲から生まれます。
今回の戦争も
そこから始まりました。
これは
地上世界のあらゆる混乱や問題から
解放されることを意味しています。
「クリシュナよ、私は勝利も王国も、快楽をも望んでいない。」
「王国も、快楽も、生命さえも、何になろうか、ゴヴィンダ(クリシュナ)よ。」
とあります。
この時点で、
アルジュナは所有欲を脱する資質を培ってきていました。
クリシュナは、
この思いに今回の節で答えを説いています。
アルジュナに三つのグナを超越して、
二元性の世界を脱して、
真我に達しなさいと、
人間を至高の境地へと導く明確な道を示しました。
次は
ちょっと飛ばして
第三章のはじめの部分を見てみましょう。
来月第三章まで発売するため、
ちょっと先読みです。
よく内観してみてください。
そして
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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