京都 伏見稲荷大社①本殿【稲荷神の真の御神徳】

その他

京都の伏見稲荷大社をはじめとした、全国に3万社あるとされる“お稲荷様”は、わたくし自身も神社仏閣を巡るなかで度々お参りしております。

狐を神使いとし稲荷神の両脇に配されるお社は、やはり独特の雰囲気がございます。

先頃登った稲荷山はその典型で、道中数え切れないほどの奉納鳥居と、さらには塚や祠などが歩くたびに次々と目前に現れ、あたかも異空間に迷い込んだ心地さえいたします。

古来より農耕の神として、あるいは地域によっては、商売繁盛の神としても地域に根付いているこの稲荷神は、様々な謂(いわ)れもあり、参拝するかを含め、良否(好き嫌い)が別れるようです。

時折、鑑定のお客様からは、“稲荷へは、本当にお参りしても大丈夫でしょうか?”というご質問などもいただきますので、ひょっとしたら、稲荷社へお参りしたら狐が憑(つ)いてしまうなどの怖いイメージが強いのかもしれません。

そこで今回改めて、稲荷大神に、稲荷信仰の真髄についてお伺いいたしました。

わたくしたちの性質を、非常によく御照覧になった上での大切なメッセージをいただいております。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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(Rinokia: お稲荷様は、日本の八百万(やおよろず)の神々のなかで、どのような御神威があるのでしょうか?)

「われら、稲荷にまつわる神徳については、たった一つの穀物の種子が、幾倍もの実りをもたらすがごとく、“倍々的に殖(ふ)やす息吹(いぶき=エネルギー)が強いことが(特徴として)挙げられます。
(※筆者注:  〇〇稲荷大神、のように、様々な名前を冠した稲荷が各地にあるため、それらを総称し、あえて“われら”という言い方をされています。)

少ない元手(原材料、素材)から、見る間に(=みるみるうちに)より豊かに実りをつけるという、この加勢の気が、地上(=人間界)にも確然と現れるというのは、無論、あなたがたが、目に見える状態での利得を少なからず望む性質であるからには、なお一層(この仕組みは)欠かせぬでしょう。

ゆえに、土壌から様々な食物を生み出す“農耕神”としても、あるいは、現世のような貨幣を基盤とする商い(商売・ビジネス)の発展をもたらす“商売繁盛の神”としても、われら(稲荷神)は長らく信仰を集めるのです。

ただし、是非ともご留意いただきたい点があります。

先ほど、“元手”という言葉にて表したとおり、“基(もと)”なる物事が、われらの神徳を“良きに”授かるにはなお(一層)肝要です。

その“基”とは一体何かーーー

それは、あなたがたの“心根”です。

人を想い、国を想い、この国の未来の幸せなることを(思い)描き、たった一つのその“元手”を、大切に活かす心持ちで、万事に臨(のぞ)むか否か、です。

しばしば、それまで勢いづいていた人生が、一転、にわかに不幸な出来事が舞い込むと、その現象を、“稲荷の祟(たた)りである”などと、人は言いますね?

たとえば、ある者が商いをしていたとして、当初は誠実なる心で日々地道に歩んでいたとしましょう。

信心と日頃の感謝と、さらには、人の縁(えにし)などをうまく兼ねていたならば、思いもよらぬほどの豊かな実り(=結実)が現れてまいります。

ですが、隆盛極まるそのさなかに、いつしか、金(あるいは物欲)の亡者(もうじゃ)となり・・・ここからは、何をするにもうまく事が運ばず、人の縁も断たれやがて落ちぶれてゆくでしょう。

われらがもっとも肝心と見るその“心根”が、すでに廃(すた)れたがゆえです。

腐りし種子は、すでに何ら良きものを生み出すことはありません。

むしろ、日ごと自らを省みる(反省する・改める)ことなく、さらには不幸の因果(=原因)を人や物事と見なす(押し付ける)その心は、腐りの根元ーーー それすらも、われら(稲荷)の気(神徳)に際して(接して)は、次々と“殖(ふ)えて”いくのです。

人は、けして驕(おご)り高ぶってはなりません。これは、道を踏み違えるもっとも大きな因果(原因)となるゆえです。

人を生かしめる生業(なりわい)とは、益々その恩恵が“増して”いくことで、この世も、そして(生業に携わる)当人も繁栄を遂げます

ですから、食物のみならず、あらゆる領域(分野)にもこの戒(いまし)めは当てはまり、道中(過程)の踏み違えによって、否(悪しきこと)もまた、“益々殖(ふ)える”ことを、是非とも肝に銘じていただきたい。

それであるなら、あなたがたが、以後の人生、何をするにもまずもって据えるべき心根はどのようなものであるべきか、もはやお分かりになりますね?

人生の幸運には、何もかもこの心根こそを、常に正す(※間違っていたのなら素直に改める)ことに注力していくことが必要なのです。

“化けの皮”はすぐに剥がれます。

古来より、先人たちは、われら(稲荷神)を狐の神使いとともに祀ってまいりました。

その意味もまた、今や(上記の真実を知った)あなたがたならお判(わか)りになることでしょう。

善人の姿は現せども、しかしながら、その心根はどうであるかーーー 人間という“化けて”生きるその姿への、けして忘れてはならない戒めの、その姿なのです。

われら(稲荷神)は、すべて、あなたがたのその心根を見通しております(=御見通しです)。

ですから、願わくば、われらのこの神威を、良きに用いていただきたい。

力あるものは、それのみにて万事が進むのではなく、その“用い方(使い方)”こそが、何よりも肝要です。

あなたがたが言うところの、狐のごとく“化ける”のなら、たった一つのその心ーーー 誠実なる心こそを、この世の大きな“糧”として大きく殖(ふ)やし、人々の希望、生きる勇気へと化けて(=変えて)いこうではありませんか。

これが、長らく時代を経てなお、人々の生活に寄り添い支えゆくべく、全国のあらゆる地にて祀られる、われら稲荷神の在る(=存在する)意味なのです。」

(次回② へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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