下野国一之宮 日光二荒山(ふたらさん)神社② 大国殿【幸福を招く、その一瞬】

その他

日光二荒山神社の境内の左脇には、神苑と呼ばれる拝観料をお納めして入れるエリアがあります。そこでは、お水取りができる霊泉のほか、いくつかのお社があり、休憩所も併設していますから、拝観される方は、皆様思い思いに過ごされていらっしゃる印象です。

本日は、その境内にあります、「大国殿」にての御言葉を書かせていただきます。こちらのお社は、“招き大国様”をお祀りし、中に入って参拝することができます。

さらには“宝刀 太郎丸”も展示されていて、他にも関連するお品が幾つも展示されているので、是非お社の中に入られ、お参りされてみてくださいませ。

Rinokia

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「“幸福を招く”生き方を決めるのは、実のところ、あるもののほんの“一瞬”に過ぎない。

その、あるもの、とは、目前に現れし物事に対しての、自らの僅かな心の動きーーー つまりは、“捉(とら)える際の感情”である。

人は、何かしらの考えを起こす最初の“一瞬”にて、(目前の)その物事から起因するところの良し悪しを判断する。

そして自らの考えを巻き起こし(呼び起こし)、ひいては行動へと誘う、この最初の“一打”ーーー 感情の据(す)え方にて、すでに運気の(良否)どちらへ傾くかをほぼ決定していると申してもよかろう。

ふと目にしたもの、意図せず目前に現われた人、あるいは、自らに対し発せられる(相手の)一言に対し、あたかも壁(障壁)か、悪者かのように、事実を“捻(ね)じ曲げ”つつ、解しては(理解しては/捉えては)いないだろうか。

この世は様々な物事が、一人ひとりのその日常に、めくるめく生じては過ぎていく。

意識せずとも、こうした数々の“現象”に、わが身を晒(さら)していると申せよう。

ゆえこそ、これらの(数々の現象に晒されるという)機会は、それが積み重なりゆけば、一歩ずつ、なんらかの目指すところ(=歩み進める先)へと、自らを誘(いざな)いていると考えよ。

正しく歩んでいかねば、求める目的地へは到底着くことはできまい。

正しく歩むため、すでに何もかも必要ありて、自らに巡りくる(=現れる)物事に対し、無用な拒絶(あるいは曲解)は避けるのがよろしい。

ふと見た物事、ふと耳にした(聞こえた)物事に対し、そなたはどこまで、まずは心静かに受け入れる(心を据える)ことができるだろうかーーー

物事の捉え方は、楽観、悲観の区別のあるように、人各々が、すでに生まれしよりの生き方によって、捉え方はあたかも性(=性質/癖)となっている。幸福を招く秘訣でありながら、実に難き(難しい)側面でもある。

“習い、性となる”(=習慣は、ついにはその人の生まれつきの性質のようになる)と言われるがごとく、何気なくおこなう事柄がいつしか、それに疑念を感じることなく、習性となる。

物事の捉える際の、自ら心向きを良きほうへ傾けられぬなら、まずはせめて心を平生(=無心/フラット)であるよう努めなさい。

今や多くの物事に心惑わすばかりの日々に、自ら“終止符”を。

(次回③へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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