この記事をまとめるために,糖尿病を自覚して間もない頃の非常に古いデータまで発掘していたら;
当時の記録の中に 時々 不思議な言葉がありました.
10:30 悪心
朝食後 悪心
などという文字です.
すっかり忘れていましたが,そういえば まだ 血糖値が安定しておらず,日々悪戦苦闘していたこの頃は,なぜか朝食後 1,2時間経つと,何の前触れもなく急に気分が悪くなるという現象がありました.
いつもそうではなくて,時たま発生する程度だったのですが,これが起こった時にはどうにも気分が悪く,症状的には二日酔いや船酔いに似ているのですが,ただ 差し迫った吐き気はありません.
記憶をたどると,この気持ちの悪さは本当に独特で 吐き気でもなく 胸から頭にかけて どうにも我慢できない嫌な気持の悪さでした.
糖質制限食に切り替えてからは記録には出てこず,現在は まったく発生していません.
いったい あれは何だったのでしょうか.すっかり忘れていましたが この謎の解明にあらためて挑んでみました.
脳貧血ではないか
まずこの症状は 午前中しか起こりませんでした. だいたい朝食を終えて,外に出かけようとする頃,又は 外に出て動き始めたあたりで起こることがほとんどでした.
当時のことなので,朝食の内容はまだバラバラでしたが,特定のメニューで起こるということはなかったように思います. もしそうならば メモに記録していたはずです.
気持が悪い,吐き気がするとはいっても,本当に嘔吐したことはありません. そもそも 朝食後だいぶ経っていますから,胃は空っぽのはずです.
また気分の悪さが継続する時間は 長くても10分ほどでした. その間は 安静にしていても,動いていても症状は変わりません.
更に 昼食時間の食欲にまで影響することはありませんでした.
思い当たるのは,急に立ち上がった時に経験する『立ちくらみ』によく似た症状です. ただし 立ちくらみのように眩暈やフラフラしたりはしませんが,あの時の気分の悪さに似ています.立ちくらみは一瞬ですが,それが数分続く感じです.つまり あれは一過性の脳貧血だったと思われます.脳貧血とは脳への血流が低下して脳が酸素不足におちいる現象ですから,いやな気分になります.
私は生まれつき 血圧が低いです.特に午前中は低いです. 朝一の血圧が90台/50台ということも珍しくありません. ですので長時間しゃがんでいて急に立ち上がると立ち眩みを起こすということはよく経験します.立ち眩みはまさに脳貧血です.
しかし なぜ 何も引き金がないののに脳貧血を起こしていたのか?
そこで『低血圧』と『糖尿病』をKeyWordにして検索すると,こういう文献がありました.
Acta Med Okayama. 2007;61:191-197[PDF]
食後低血圧
糖尿病では『食後高血糖』はおなじみですが,『食後低血圧』という現象もあるようです.
この報文では.糖尿病履歴5年以上の糖尿病患者について,食後の血糖値・血圧の変化を詳しく調べています.10人の糖尿病患者[=患者群]と,ほぼ同年齢の10人の健常者[=対照群]とを比較しています.
この10人の糖尿病患者は 予め以下の条件に適合する人のみを選抜しています.
- 明らかな合併症・神経障害はない
- 血圧を下げる降圧薬は服用していない
- 脳血管・心疾患の既往がない
- 脈拍など心電図は正常
- 糖尿病薬は服用中だが,ジギタリス・利尿薬・抗狭心症薬などの心臓作用薬を服用していない
つまり,血糖値・HbA1cがやや高いことを除けば,他の面では健常人とほとんど変わらない 比較的軽度の糖尿病患者です.
血圧測定
下図の通り,患者群 及び 対照群の人の仰臥位→起立位での血圧変化(=つまり起立性低血圧の有無)と,試験食喫食後の食後血圧を測定しています.
なお ここで提供されている試験食は,400 kcalの標準食(タンパク質/20g,脂質/10g,炭水化物/55g; P/F/Cのカロリー比率= 20.5/23.0/56.5%)で比較的軽めのものです.
図の左半分が,ベッドの上に仰向けに寝た状態(仰臥位)からゆっくりと床に立ち(起立位),再び ベッドに横たわるまでの血圧の変化を測定したものです. 仰臥位,起立位でそれぞれ2回ずつ血圧を測定しています.
図の右半分は,椅子に座った状態で試験食を食べて 食後は仰向けに寝た状態での血圧変化を記録したものです.
一目瞭然,患者群では,立ち上がった時,そして食後に血圧が低下しています. 血圧の低下は収縮期(最高血圧)だけでなく,拡張期にも低下がみられます.しかも起立時の血圧低下はたかだか数分なのに,食後の血圧低下は2時間後まで続いています.
一方 対照群(健常人)では血圧変化はほとんどみられません.なぜ対照群で血圧が維持されているのかは,図の下段の心拍数の変化をみると明らかです.対照群では起立時,及び食後で心拍数を上げて,つまり心臓からの血液拍出を多くして,血圧が低下しないようにしているのです. 患者群でも多少心拍数は増加していますが,血圧の低下を補えるほどではないようです.
交感神経
では,患者群と対照群とで,どうしてこのような差が生まれているのでしょうか?
この報文ではそこも検討しています. この試験の間中,すべての被験者には,ホルター心電図計を装着してもらっていました. 心電図を連続記録していたのです. その結果をまとめたものがこの表です.
表中,『R-R間隔』とあるのは,心電図波形でもっともよく目立つR波の間隔のことです.このR-R間隔がいつも一定であれば,心拍が安定していることを意味し,間隔がバラつけば心拍が不安定なことになります.
また心電図の波形を(フーリエ変換で)周波数分析して,低周波成分(=LF)と高周波数成分(=HF)とに分解し,その比率 LF/HFを算出したものを表の一番右に表示しています.
左の赤枠に示したように,対照群では食後にR-R間隔が短くなっています. つまり食事によって,心拍数を上げたのです.一方患者群では R-R間隔はほとんど変化していません.
更に特徴的なのは,右の赤枠内のように,対照群では LF/HF比が食事を摂ると2倍以上高くなっています.逆に患者群では,ほとんど変わらず むしろやや小さくなっています.LF/HF比とは,交感神経が副交感神経に対してどれくらい優位であるかを示す指標です.
誰でも食事を摂ると,消化器官に血液が集まりやすくなります. つまり それだけ脳に回る血流が少なくなります. これが食後の眠気の原因ですが,健常人では これを補償するために,交感神経をハッスルさせて心拍数を上げて,心臓から送り出す血液量を増やし,血圧の低下を防いでいます. しかし,糖尿病患者では,食事を摂っても交感神経があまりやる気を示さないので,ズルズルと血圧が低下してしまうようです.
注目すべきことは,この試験の対象となった糖尿病患者の方々は,どちらかといえば軽度の糖尿病だということです. 神経疼痛に代表されるような糖尿病合併症はまったくありません.肝機能も正常です.そんな軽度の糖尿病なのに,交感神経の働きは既に悪くなっているのです.糖尿病の神経障害は,こんな早期に目立たない形で始まっているようです.
対策はあるのか
原因とメカニズムがわかったので,食後低血圧のの治療・対策を調べてみました.
もちろん,消化吸収を遅延させるαーグルコシダーゼ阻害薬をのむ,あるいは交感神経を刺激するカフェインをのむなどといった 薬物的に食後血圧の低下を防ぐ方法はあるのですが,それを毎度の食事でやるわけにはいきません.
もっとも安全で相対的に効果が高いのは,食前に350〜500mlほどの水を飲むことだそうです.一般に食後低血圧は 脱水気味の時にはひどくなるので,予め水分を多く摂って体水分量を上げておく方法です.
当時 この方法を知っていたら,あんなに不快な思いをしなくて済んだのですけどね.
Source: しらねのぞるばの暴言ブログ
コメント