私のようにがんを見落とされる人が
これ以上出ないように、
自分の体験を伝えていきたい
同じ“乳がん”という病で
不安や悩みを抱えている人の力に
少しでもなりたい
そして、
「独りじゃない。仲間がいる」
そう知ってもらいたい――
そんな思いから、
乳がん体験記の出版を本気で考えたのは、
今から13年前
きっかけは、
病院で開催されている“がんサロン”での
体験記の執筆だった
「やっぱり出版は諦めきれない」
と、一念発起
なんとなく構想していた体験記を
本格的に文章にしたためはじめた
幸い日記をつけていたため、
あらましは容易く掴むことはできた
日記と睨めっこをしながら
カタカタと古いパソコンで
一文字一文字打ち込んでゆく――
それは出版へ向けての希望と、
告知時の、
あの悲しい思いが再び蘇る、
つらい作業でもあった
大きな壁が立ちはだかっていたのは、
原稿ができあがってからだった
そう、出版社探しである
これが芸能人なら、
黙っていても向こうから話が来るだろう
が、そもそも一般人の乳がん体験なんて、
どの出版社も見向きするはずがない
『20歳で余命3か月』――
ともなれば、
喰いついてくるメディアはあるだろう
“乳がん”という、珍しくもない病
しかも“一般人”となれば、
出版社に儲けはほぼないどころか、
赤字になる
結局、“かね”である
原稿を送っても、返事が来ないのは当たり前
それどころか、原稿さえ読んでもらえない
漫画や小説など、毎日毎日、
山のように送られてくるであろう原稿
デスクの上の山積みになった郵便物の中に
私の原稿が埋もれたままになっているか、
それともそのままゴミ箱行きになったか...
周囲に出版できないか声をかけてもみた
ネットで自費出版の会社も探してみた
が、
なかなか自分の希望に合うものはなかった
地元の新聞社からは、
ありがたいもので封書で返事をいただけた
が、中に書かれていたのは、
『これくらいの体験は誰でもしている』
というもの
A4用紙にほんの2~3行だけ書かれた、
断りの文章だった
「これくらいの体験?
こっちは命がかかっているんだ。
ひとの命をなんだと思っているんだ」
そんな怒りに震えたこともあった
中には、
「親戚が印刷会社で働いているから、
聞いてみてあげる」
と、親切におっしゃってくれた方もいた
が、2か月経っても3か月経っても
なんの音沙汰もない
しかも、あれから何度も顔を合わせているのに、
なにも言ってこない
こちらから聞くのははばかられたが、
「もう待てない」と、声をかけてみた
すると、
「私もいろいろ忙しくて、
まだ電話していないの」
と、少し迷惑そうだ
『そっちから言ってきたんじゃない。
それに“忙しい”って、電話の一本くらい、
すぐに入れられるんじゃ...』
そう思ったが、なにも言えなかった
『こんなことなら、
この人の返事なんか待つんじゃなかった』
その方も同じがんを患っていただけに、
大きな失望だった
そこで私は半年も無駄にしてしまったのだ
親身になってくれた出版社もあった
が、見積もりを出してもらうと、
法外な金額
「今なら半額で...」 ←怪しげな文言である
と、提示された金額でもまだ高い
断るのも大変だった
あとで知ったことだが、その出版社、
数々の訴訟を起こされていたらしい
『まぁ、あの金額ならそうだろうな』
と、合点がいったのだ
その後、いい方と出逢い出版に至る
出版の準備をはじめてから、
実に1年半が経っていた
中身や表紙の用紙、色、帯、
文字の大きさやフォントなど、
大体のものは自分で決めることができた
わがままも聞いてもらった
話し合いがまとまらなくて、
イライラして声を荒らげてしまったことは、
今でも申し訳なく思っている
そんな、出版までの裏話――
原稿を書きはじめたのは、
手術をしてまだ2~3年目の頃
副作用に耐えながら書いていた
まだ自分のことは
話したくない時期でもあった
なので実は、
あまり詳しくは書いていない
今ならもっと
詳細に書くことができたと思う
そんな今日も、氷点下20.1度の朝
オホーツク海には
少し遅い流氷も訪れはじめた
いよいよ本格的な寒さになりそうだ
午前中に出現したハロ
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Source: りかこの乳がん体験記
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