神の詩 第五章第三節 1

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神の詩 第五章第三節 1

写真は雪解け進む今週の白馬から
白馬三山の一つ、
杓子岳
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「憎しみも望みもない者は、確かな行者と知るべきである。アルジュナよ、相対を離れた者は容易に束縛から解放される。(三)」

これは
禅の境地に在る人を思い浮かべてください。

すべてを
あるがままに受け入れて、
野心を抱くことなく、
激しい感情もない
穏やかな状態です。

憎しみも望みもない者とは、
心に一点の曇りなく、
今この瞬間に
すべてが満たされている状態に在る
ことを意味しています。

人は、
憎しみを抱くと、
次に
それを消そうとします。

そして
消す方法を模索します。

でも、
憎しみとは何でしょうか?

それは
過去の心理的記憶に基づくものであり、

ここに存在していないものになります。

存在していないものを
消すことは出来ないし、
それで
将来を思い煩う意味もありません。

同様に、
望みも
この瞬間に必要でしょうか?

憎しみが
この瞬間に過去を連れてくるように、
望みは
未来に対する心理的期待に基づくものであり、
この瞬間の意識に未来を連れてきます。

憎しみも望みのどちらも、
現在に
過去や未来を持ち込んで比較することであり、
この瞬間を見逃すことに繋がります。

続きます。

神理の扉 聖なる変容と霊性進化の道
光田秀
きれい・ねっと
2020-04-12


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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