神の詩 第五章第四節 2

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神の詩 第五章第四節 2

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「幼稚な者は知識(サーンキャ)と実践(カルマ・ヨーガ)が異なると言うが、賢者はそうは言わない。どちらかの道を究めれば、両方の成果が得られる。(四)」

賢者たちは、
その根底にある土台と活動の本質が、
心であれ
体であれ、
同じものであることを理解しています。

どちらの道を選ぶかは、
基本的には
自分の資質、特性、状況
などに応じて
決めることができます。

智慧の道を選んだ者の
「働き」
に関する釈迦大師の逸話があります。
ある日、
釈迦大師が
弟子たちを連れて、托鉢に出掛けられた時のこと。

托鉢は
食ベ物などの御布施を鉢に受けることを通して、
多くの人たちと
縁を結ぶ行為です。

大師たち一行が訪れた村では、
農夫たちが汗だくになりながら
牛を操って、
鋤や鍬で田畑を耕していました。

農夫たちは、
毎日朝から夕方まで、
重労働もいとわず
一生懸命に大地と向き合い仕事をしていました。

釈迦大師とその弟子たちは托鉢を行うために、
たくさんの農夫たちが一仕事を終えて集まり、
食事をしているところに向かいました。

鉢を持って
農夫たちの元に立たれた釈迦大師に、
農夫の頭らしい男が立ち上がって、
からかうように言いました。

「あんたは、働き盛りの若者たちを大勢連れ歩き、
俺らが汗水たらして育てた農作物を物乞いしたり、
訳の分からぬ説法ばかりしとる。
そんなことしとらんで、
自分で田畑を耕して、
米や野菜を作ったらどうだ?

俺らは、
難しいことはわからんが、
自分で働いて、
自分でちゃんと食っとるぞ。」

農夫の言葉からは、
毎日肉体を酷使して働き続けて
農作物を生産していることへの自負と
その農作物を肉体労働もせずに
施しによってもらい受ける働き盛りの修行者たちへの軽蔑の気持ちが感じられました。

農夫の言うことを静かに聴いていた釈迦大師は、
次のように答えました。

・・・・・・

・・・

よく考えていただくために
続きは
第五巻まで
待ってもらおうか

.。゚+.(・∀・)゚+.゚

次は

「知識の行者(ジュニャーナ・ヨーギ)が到達する境地には、行動の行者(カルマ・ヨーギ)も到達する。知識のヨーガと行動のヨーガを同一視する者は、正しく見ている。(五)」

少し休憩必要ですか?

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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