本日は、戦後77年目の終戦記念日です。
当時を知る方々も高齢となり、わたくしたち戦後世代が、在りし日の惨禍を知る機会も少なくなっております。
ですが、実際には世界を見渡せば、日ごとどこかの国で争いが生じ、今年に至っては人々を震撼させた戦争が、現在も続いております。
本日の終戦記念日に、かつて戦争で命を遂げた御霊より御言葉をいただきました。
どうぞご一読いただけますと幸いです。
Rinokia
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「命は尊い・・・この言葉は、私は今をもってなお複雑な感情を抱きます。
命が何よりも尊いのであれば、なぜあれほどの数の命が、あれだけの短期間で露と消えたのか。
そしてまた、失った命の数だけ、悲しみと苦しみが人々の心を苛(さいな)みました。
戦争に反旗を翻(ひるがえ)すようなこと(=戦争に反対する言動)は、当時は一切できませんでした。
それよりもむしろ、自らの命は国のため投じるものという観念が人々の想いの大半で、たとえ戦争に疑問を感じる人がいても、口が裂けても言えない風潮です。
何がそこまで国全体を戦争に駆り立てたか。
尊い命を守るため?
尊い命を守るために、尊い命を次々と犠牲にするーーー いつの時代でもこういった仕組み変わらないのかもしれません。
ですが、かつて私たちが体験した戦争は、尊い命を守るなどとは到底言えぬほど、この国の人々の生活が徹底的に破壊され、心も体も傷つき、生きる術(すべ)を失ったのです。
・・・これが、戦争というものの“現実”です。
現実を見失うことほど恐ろしいものはありません。
現実をありのままに見て、考え、判断するという、人間にとって欠かせない行為が、戦争という大きなうねりに飲み込まれ、そしてさらなる戦争へと突き進んでいくことになるのです。
命が尊いのであれば、あなたがたが依拠する(=生きる)この地球の出来事に、けして目を背けてはなりません。
無思考、無判断、無秩序ーーー
哀しきかな、人があたかも“人造人間”(=ロボット)と化していく、これがあなたがたの今の社会ではありませんか?
戦争という波に消えた私たちの命が伝えたいもの、それは、あなたがたにこそ、この国、そしてこの世界をしっかりと見てほしいということ。
そして、本当に大切で守るべきものとは一体何なのかを、心底考えていただきたいのです。
(Rinokiaが問いました: 「あなたはどのようにして命を遂げたのでしょうか?」)
私は、結局最期まで、自身の命の尊さを見い出しませんでした(=戦争に傾倒し、玉砕(ぎょくさい)の形で亡くなったそうです。)
それなのに、私の大切な人々の命さえも守り抜くことはできなかったのです。
私のような、命の尊さを知らぬ、まるで無知の人間は、結果、愛する人を誰一人として守れない。
戦争によって、すべてを失いました。
本当に何もかも、目の前から消えていくのです。この喪失感は計り知れません。
尊い命を守るためにと、人が人を殺し合う戦争は、何すらも生み出しはしないのです。
ただ一つ、戦争によって残されたもの・・・それは、戦後幾年も経てなお消え去ることのない、私の深い“悔恨”です。」
以上
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Source: 神々からのメッセージ
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