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神の詩 第五章十五節 3

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nādatte kasyacit pāpaṃ na caiva sukṛtaṃ vibhuḥajñānenāvṛtaṃ jñānaṃ tena muhyanti jantavaḥ 5.15「遍在者(主)は誰の善も誰の悪も受け取らない。知識が無智に覆われるので、人々は迷う。(15)」続きです。大師は、高弟アーナンダに次のように伝えます。「アーナンダよ。人は、チュンダの料理のせいで私が亡くなったとチュンダを責めてしまうだろう。でもそれは正しくない。私は、チュンダの料理を最後の供養に選んだのだ。私の生涯では、二つの優れた供物が捧げられた。この二つとも等しくとても優れた果報があり、大いなる功徳があった。その優れた二つの供物とは何かわかるか?一つは、スジャータが持ってきてくれた粥であり、それによって私は無上なる悟りの境地を達成した。そしてもう一つが、この度のチュンダの料理である。これによって私は涅槃の境地に入ることが出来る。アーナンダよ、もしもチュンダを憎むような者が現れたら、チュンダは善き行いをしたことをよく諭すのだ」。スジャータの粥とは、大師が六年間に及ぶ厳しい苦行によって体力の限界に達し、ネーランジャー川で沐浴していたときに、村に住む若い女性スジャータが持ってきたものです。この粥によって、師は体力を回復し、そのまま菩提樹の元に座り、悟りを開くことになりました。一般的な社会的な感覚だと、

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