発掘調査でも古代の墓の様式が日本方式であったり、
出土した人骨の形態が韓国人より日本人に近いなど、
古来の朝鮮半島の住民は日本人だったという証拠が揃っています。日本人が韓国人と入れ替わったのは白村江の戦いだったと思われます。
白村江の戦いで日本人を追い出したという記録が残されているからです。大和朝廷が朝鮮半島の百済、新羅、高句麗と交易していた時期は、
言葉の障害を伺わせる記録がありません。これは交易していたのは日本人同士だった何よりの証拠です。
遺伝子、古墳の形式、人骨の形態、言葉の記録など、
すべてが古代朝鮮人は日本人だと証明しているのです。
渡来人という教科書の記述の変更が必要だと思いますが、
皆さんはどう思われましたか?遺伝子が証明する古代朝鮮人の正体歴史書を見ますと古代朝鮮人が何者であったのか未だにはっきりされていません。 魏志倭人伝には半島南部は倭人が住ん…
白村江の戦いで、、
唐軍に組み込まれていた民族とも言われている。
そして現代朝鮮半島「定住族」が、意味も解らずに使われている「アリラン」。
『アリラン』(朝鮮語:아리랑、中国語:阿里郎)は、朝鮮民謡。
キキョウを掘る娘を歌った『トラジ』とともに朝鮮半島内外で最も有名なものの一つ。
明るいメロディーのトラジと哀調を帯びたアリランは朝鮮民謡の代表作と言える。
韓国の文化体育観光部は、アリランを「韓国の100のシンボル」に選定している。
歌詞に歌われているアリラン峠は伝説上のもので、朝鮮半島各地にある同名の峠はこの歌にちなみ、後から地名としてつけられたものと考えられる。
アリランという単語の語源は、キム・ジヨンの『我離郎・我離娘、我耳聾、我難離、阿娘、兒郞偉、閼英』の6説が基本説といわれている。
その後、高権三の「唖耳聾」説、李丙燾の「樂浪」説、梁柱東「アリ嶺」説をはじめ、沈載德、丁益燮、任東權、崔載億、元勳義などの独立初期の研究者・学者がこれらの説の研究をさらに深め、現在も多くの語源説が発表されているが、未だ決定的な説はない。
要は盛んに歌う割には意味の解らないコトバなんですよ。
で、、エベンキ。
「アリラン、スリラン」の単語を使用するバイカル少数民族
オシルハ教授、ロユーラシア文化フォーラムで明らか
2005.08.14 (イルクーツク=連合ニュース)=ギムビョンジョ記者=
バイカル近隣の少数民族エベンキは、現在まで`アリラン’と`スリラン’という言葉を使用しています。
「シベリア先住民の遺伝子と韓国人の遺伝子型を分析した結果、70%が典型的なモンゴロイドの遺伝子型を示しています。」
「シベリア南部地域に住んでいるエベン族の言語で“アリラン(ALIRANG)は迎えるという意味で、スリラン(SERERENG)は感じて知っているという意味”で使われている。」と説明した。「“私たちが意味も知らずに民謡サビのみ使用してきたアリラン、スリラン”は古代北方シャーマニズムの葬儀文化で“魂を迎えて別離の悲しみを我慢する”という意味であったと推定される。」と強調した。
translate.google:media.daum.net(韓国語)
良い事を教えてあげよう。これ、韓国では大真面目に国家機密扱いらしく、エンコリでこの関係のスレが立つと10分以内に運営によって消される
余程都合が悪いらしい
韓国のソッテという鳥のトーテムエヴェンキ族の鳥のトーテム朝鮮のトーテムエヴェンキ族のトーテム朝鮮民族とツングース系の代表民族であるエベンキ、エベン族とは共通風習、歌、言葉などから、「朝鮮民族」とは同じ流れと分かる。
馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は、遠くの人々を懐かしむ「アリラン(迎える)・スーリ(感じとる)」。
朝鮮のアリランには「アーリアリラン、スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。アリランという言葉、スーリも意味不明と言ってるが、エベンキの言葉では意味はハッキリしているw朝鮮とエベンキ、ワイ族には、棒を立てたソッテ、トーテムポールのチャンスンが共通。
朝鮮の神社にあたるものであるソッテって、こんなものなんだよねw
いずれにしても、森を大事にする神社とは似ても似つかぬもの
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2046m.jpgこれも、エベンキなどと同じ風習。中国や日本にはない。チャンソンと呼ばれるトーテムポールの様な木像と同じで、エベンキ族と朝鮮でだけ見られる。
チャンソン
http://zaiwakan.hp.infoseek.co.jp/hanguku0311.files/image043.jpg
http://busan.nekonote.jp/korea/old/life/kokoro/chn.jpghttp://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2075m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2073m.jpghttp://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2049m.jpg
自分たちのルーツが
実は高麗人でもなければ百済人でもなく
他民族だったというのを隠したい模様。
以前、このテーマでブログを書いた。もう一度、この点『今の朝鮮人は昔の朝鮮人ではない、異民族だ』について考えてみる。朝鮮民族はエベンキ・ワイ族なのか?
https://ameblo.jp/recrutarou/entry-12301490661.html
↑現在の朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)のDNAと似たDNAを持つ民族は朝鮮半島からまっすぐ北へ向かう中国のエリアに存在する。つまり、現在の朝鮮人のDNAは満州(清国皇帝の故郷)人のDNAにほぼ近いのだ。それゆえ、前回の記事ではラストエンペラー(清国最後の皇帝の話)を持ち出した。DNA的に結論がでているので韓国人が信じている「日本人は韓国人(朝鮮人)だった」という迷信はこれで否定された!!”【拡散】韓国人・朝鮮人が必死で隠す歴史的事実まとめ(2)”
https://ameblo.jp/clover4honey/entry-12244544459.html
ネットではエベンキ族説が出ていたんだけど、エベンキ族はトナカイを飼育するのです。でも朝鮮半島ではトナカイを飼育する文化習慣が無いので、「エベンキ=朝鮮」はわしの中ではちょっと疑問に思っていたのです。そこでこの「悪魔の門の洞窟」で発見された民族を調べてみると、挹婁(ゆうろう)という中国東北部からロシアのアムール川近くに存在するの民族とかなり近い。挹婁に関してはネットでかなりの情報がでてくるので興味のある人は検索しよう(・∀・)
現代朝鮮人のY遺伝子もX遺伝子は…高句麗・百済・新羅・日本と全く関係がない!
現代の朝鮮人と共通項はゼロです。高句麗・百済・新羅の人たちは、南下してきた侵略者(現代朝鮮人のルーツの人々)から日本に逃げてきた。【挹婁ってどんな民族?】ざっとまとめてみた(≧∇≦)挹婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活する。
部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったという。
挹婁人は養豚が盛んで、豚を主食とし、豚の皮を着物にした。
夏にはほぼ全裸でわずかな布だけで前後を隠したが、冬には豚の膏(あぶら)を身体に数センチもの厚さに塗って風や寒さを防いだという。
爼豆を使う習慣が無く、鼎や瓶や平皿を用いて炊事や食事をする。
毒矢を使用する。
※爼豆とは古代中国の祭器のことです。
この挹婁と朝鮮人の生活習慣は、明治時代の朝鮮半島に関する書物「最近朝鮮事情」やイザベラバートの旅行記の記録と一致する…:*:・( ̄∀ ̄)・:*: ルーツを消して他の民族になりすましたり、女性を誘拐したり人喰いに犬喰いもしていた民族って珍しいよね。
—<以上、引用おわり>—-【KSM】韓国人のルーツはエベンキ族 世界最悪の衛生観念がない民族
http://ksmworld.blog.jp/archives/1058614286.html
↑この記事を読むと朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)とエベンキ族との驚くほどの共通性がわかる。『言語・トーテムポール・衛生観念のなさ』だ。そして「エベンキ人=穢族(わいぞく)=女真族」という話らしい。穢族は、中国の紀元前五世紀頃の史書に登場し「濊」とも書かれ、どちらも『汚れ』を意味する。つまり、古代の中国人はエべンキ族の特徴を良く知っていて記録に残したのだ。
穢族(わいぞく)と女真族は別民族なのだが、上記のDNAの調査から「女真族が現在の朝鮮人のルーツ」と判明している。おそらく韓国の学者は自分たちのルーツを知ってて女真族の子孫のDNAを熱烈分析したのかも知れないな。
新羅のルーツはエベンキ(ロシア)から来た説
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=269432
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那・百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたエベンキ人(穢人。朝鮮民族の先祖)が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
—<以上、引用おわり>—-↑そもそもが新羅のルーツがエベンキ族だ。地図にしてみると明確!上記のDNA分析のニュース記事によると「韓国人のDNAは挹婁(ゆうろう)という民族のDNAに近い」ということだ。
Wikiユウ婁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%A6%E5%A9%81
挹婁の言語について、中国の史書は「言語は独異」と記しており[3]、当時の東北アジアの中でも独特の言語を使用していたことがわかる。
ツングース系説…挹婁がのちの女真族(ツングース系)であること、比較言語学的研究により粛慎系の語彙がツングース系に近いということ[4]から、古くから支持されてきた説であり、現在では発掘調査による出土品から日用品や居住形態、食生活の連続性が確認されているため[5]、挹婁は女真の祖先であり、言語系統もツングース系とされる。
—<以上、引用おわり>—-↑ということで「女真族」の朝鮮半島での歴史がカギになる。朝鮮半島はもともと多民族地域と言われていた。その中で現在の朝鮮人のルーツとなる女真族とエベンキ族が一等民族となったのはいつなのか?まず三国(百済・高句麗・新羅)時代にエベンキ族の国「新羅」が唐(中国)と手を組み高句麗と百済(ほぼ日本)を滅ぼした。この時点で昔の朝鮮人の歴史が終わる!この時、高句麗の王族が日本へ亡命した証拠(高麗神社)が日本にある。この後の朝鮮半島は高句麗が唐(中国)領となり、新羅が百済を吸収し朝鮮半島の南半分が新羅となる。高句麗滅亡後約100年間はこの形になるが、朝鮮半島の実質的な統治が形骸化し、朝鮮半島に数え切れない数のヤクザが乱立する状態になった。この状態を示しているのが「後百済」や「後高句麗」の誕生だ。特に「後高句麗」を建国した弓裔の人生を調べると面白い。弓裔は自称王子w 彼は自分の肌に合うヤクザ組織に入り、その後、どんどん勢力を拡大し後高句麗を建国した。しかし、王建(満州人)がクーデターにより粗暴な振る舞いの弓裔を追放し、さらに「後百済」を滅ぼし朝鮮半島を統一し、「高麗(918年
– 1392年)」を建国した。もともとエベンキ族は朝鮮半島では少数派だったが(つうても新羅なんだが)、王建(満州人)が建国した「高麗」からエベンキ族が朝鮮半島全体へ侵食していった。
Wiki 高麗-帰化人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97#.E5.B8.B0.E5.8C.96.E4.BA.BA高麗(こうらい、ハングル:고려;[koɾjʌ]、918年 – 1392年)は、918年に王建(太祖)が建国し、936年に朝鮮半島の後三国を統一し、李氏朝鮮が建てられた1392年まで続いた国家である。
・・・
高麗時代前時期にかけて異民族が帰化し、23万8000人に達するという説もある[36]。あるいは、契丹が滅亡して契丹人が各地に散る時に、高麗に入って来て暮らした契丹人は100万に達するという記録もある[37]。・・・女真族は北方情勢を情報提供したり城を築いたり、軍功をたてて高位官職になった者もいる。李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身でこの地域の女真族を自身の支持基盤とした。
—<以上、引用おわり>—-
Wiki契丹
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9契丹(きったん、キタン、キタイ、拼音:
Qìdān)は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中国の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ
—<以上、引用おわり>—-高麗時代に異民族が続々と官僚になるありえない政策が採られていた。まさに敗戦直後の日本の政治のような状態。さらに、高麗時代に契丹は滅亡し契丹人の多くが女真族に取り込まれていた。つまり、「高麗に入って来て暮らした契丹人は100万に達するという記録もある」とは恐ろしいことを言っているわけで、高麗は契丹人に乗っ取られたことを意味する。しかも契丹人のご主人様は女真族だという構図だ。
李氏朝鮮を建国した李成桂ですら女真族。高麗時代の文化的劣化はまだひどくなかったはずだ。というのも漢族の官僚がいたから。問題は李成桂だ。彼は高麗の政権打倒を御旗に高麗を倒し李氏朝鮮を作った。高麗では仏教が重んじられていたが、李氏朝鮮はその真逆の仏教廃絶を推進した。その結果、李氏朝鮮以降から完全に朝鮮人の先祖がえりが進んだ。歴史的経緯を見ると朝鮮人のルーツは李氏朝鮮で固定化され、その内容は女真族と契丹人とエベンキ族ではないかと思う。
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ともかく、、
国交断絶です。
古代日本、倭人の住まう地域を占拠し殺戮して根絶やしにした民族、それが現代朝鮮族。
遺伝子も何もかも違う。
嘘と欺瞞しかないこの民族と付き合う必要は無いです。
エベンキで検索してみてください。
「エベンキと山葡萄原人」も面白いです。
ロシアのアムール川流域に、「悪魔の洞窟門」という洞窟があり、そこから20代と40代の女性の人骨が出土しました。それを山葡萄原人と名付けたのです。何故、そのような名前をつけたのかわかりませんが、黒い山葡萄原人と言われています。
人間の進化の中でホモ・サピエンスが誕生するまで様々なヒト科がいました。ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人、アウトラロピテクス・アフリカヌス、など、新生ヒト科が生まれると前のヒト科は滅びて、たくさんの種類がありました。
現代人を人類とするならば、現代人類に一歩近いところまできて絶滅したヒト科がいます。それが山葡萄原人です。これはホモ・サピエンスではありません。これは朝鮮人がそのように言っているのです。北朝鮮の歴史教科書にはそのように書いてあるのです。「我々の先祖は山葡萄原人だ」と学者が言っているのです。
朝鮮人は現代人と約900万個の遺伝子が違います。
何故、こんな人間が今いるのでしょう。
ホモ・サピエンスが誕生して活躍しだしたときに、生き残った旧原人の山葡萄原人は洞窟にいたのです。洞窟にいてひっそりと生きていたのが、何かのキッカケで洞窟の外に出て膨張しだしたのです。山葡萄原人は今の人類とは明らかに違います。
「もう絶滅した」と思われていたのが山葡萄原人です。それが洞窟にいた連中だけは生き残って、洞窟からのこのこと出てきたのです。
現代人類が持っている価値観や、感性は山葡萄原人(朝鮮人)には通じません。チンパンジーと人間は通じません。チンパンジーをいくら訓練しても人間にはなりません。ゴリラも、オラウータンも人間にはなりません。
いくらヒト科で「人間に近い」と言っても、人類とは違います。
だから、ボウズPさんが「朝鮮人は亜人だ」と言いましたが、本当にその通りです。
亜人は人間に近づいたのですが、まだ現代人類にはなれない連中を亜人といいます。
『黒い山葡萄原人(朝鮮人)とは何か?』※これが朝鮮人の先祖、山葡萄原人※悪魔の洞窟門の近くに住むウルチ族の女性どう見ても山葡萄原人(朝鮮人)とソックリ!! ロシアのアムール川流域に、「悪魔の洞…
Source: 身体軸ラボ シーズン2
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