科学か宗教か

健康法

宗教を純粋に精神世界のこととして,現実世界とは混同すべきではない,もし両者を混在させると危険な結果を生む,というのがこの記事でした.

日本では ほとんどの人はそうしているでしょう.しかし米国では事情が異なります.

進化論は聖書に反している

米国は,日本人から見ると科学技術と経済の大国に見えます.それは正しいのですが,実は米国にはもう一つの顔があります.

米国の中西部の農場に泊めてもらったことがありますが,地平線まで見渡す限りの畑です. 毎日ここで黙々と農作業を行い,夕べには自分の農場でとれたもので食事を作り,神に感謝を捧げて,寝る前に聖書を読んで床に就く...これも典型的な米国人の姿です. ここの農場主と話しましたが,もうあきれるほど底抜けに善良で親切でした.

彼らに言わせれば,東部のエリートや,西海岸の俗物は 米国人ではないと言います.『あんなのはアメリカじゃない.本当のアメリカはここなのさ』と.

American Farmer

そうです,実は 米国は宗教大国なのです,それも敬虔なプロテスタント系キリスト教が主流の国です(欧州やメキシコからの移民にはカトリックが多いですが).

キリスト教にもいくつかの宗派がありますが,聖書に書かれていることは 一言一句 まったくの真実であると考える宗派もあります.比喩的な寓話ではなく,現実世界の真実であるという認識です.

ところが20世紀初頭から,米国で公立学校が整備され,そこで科学教育の一つとして,ダーウィンの進化論が教えられ始めると,米国は真っ二つに分かれました.

聖書の創世記(genesis)には,『神は天と地を創り,すべての生物を創られた(万物創造)』とあるのに,あろうことか 人間はサルから進化したというのは,聖書を重んじる人々にとっては許しがたいことでした.

日本では ほとんどの人が,『聖書か進化論か』などという論争など、まともに受け取ることすらばかばかしいと考えるでしょう.『ダーウィンの進化論を学校で教えるのは,自分の思想・信条に反するから禁止すべきだ』と 国を相手に裁判を起こした日本人はいませんからね.

しかし,米国では この趣旨の裁判は何度も起こされています.

スコープス裁判

1925年3月,テネシー州では聖書の教えに反する進化論を教えてはならないとする法律(バトラー法)が成立しました.

ところがテネシー州のDaytonという小さな町で,授業で進化論を教えたとして高校教師 スコープス(John T. Scopes)が逮捕され,裁判になりました.人間はサルから進化したのか/そうではないのか が争われたので,この裁判は『モンキー裁判(Monkey Trial)』という名前もついています.

(C) University of Washington[PDF]

この裁判は全米の注目となり,検察側/弁護側がそれぞれ大物政治家W.ブライアン(William J. Bryan),有名弁護士 C.ダロウ(Clarence S. Darrow)をたてて争いました.
W.ブライアンは ウッドロー・ウィルソン 第28代大統領のもとで1891~895年に国務長官(=外務大臣)をつとめた経歴を持っています.
一方C.ダロウ弁護士 は,既に数々の事件で法廷に立ち,有名でした.

このような顔ぶれだったので,この小さな田舎町の裁判の様子は 一躍全米の関心事となり,法廷のラジオ実況中継まで行われました.

そして,この時の証人質問で ダロウ弁護士は,ブライアンから決定的な失言を引き出すことに成功しました.

Darrow: “You have given considerable study to the Bible, haven’t you, Mr. Bryan?”
Bryan: “Yes, sir; I have tried to…. But, of course, I have studied it more as I have become older than when I was a boy.”
Darrow: “Do you claim then that everything in the Bible should be literally interpreted?”
Bryan: “I believe that everything in the Bible should be accepted as it is given there; some of the Bible is given illustratively. For instance: ‘Ye are the salt of the earth.’ I would not insist that man was actually salt, or that he had flesh of salt, but it is used in the sense of salt as saving God’s people.”
 
ダロウ: 「ブライアンさん、あなたは聖書をかなり勉強してきましたね?」
ブライアン: 「はい、先生; 努力してきました…でも、もちろん、少年の頃よりも大人になったので、もっと勉強しました。」
ダロウ: 「それでは、聖書の内容はすべて文字通りに解釈されるべきだとあなたは主張するのですね?」
ブライアン: 「聖書の内容はすべて、そこに書かれているとおりに受け入れられるべきだと信じています。ただ 聖書の一部は例として挙げられています。たとえば、「あなたたちは地の塩です。」 人間が実際に塩だったとか、塩の肉体を持っていたとは主張しませんが、それは神の民を救うという塩の意味で使われています。

聖書の教えは一言一句真実であるという立場であるにもかかわらず,うっかりと『聖書の記述には比喩もある』と口を滑らしてしまったのです. これにより,聖書擁護派は打ちのめされてしまいました.

しかし,この裁判の判事は,進化論と聖書の教えとでは どちらが正しいかという内容判断には踏み込まず,ただ州法に違反した点だけをとらえて,罰金100ドルの有罪判決としたので,形式的には反進化論の勝利となりました.

[続く]

Source: しらねのぞるばの暴言ブログ

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