信念はエビデンスより強し

健康法

生化学,特にDNAの構造などで 数々の業績をあげてきた Michael Behe博士が,なぜか突然 非科学的な『インテリジェント・デザイン説(ID説)』にのめりこんでいった,というのが 前回記事でした.

カトリック学校

ペンシルバニア州 ドーバー(Dover)市での裁判で敗れた後に,Behe教授が GodSpy というカトリック系のサイトのインタビューに応じてこう述べています.このサイトは聖書を尊重する立場なので,博士に厳しい質問はしていませんが,それでもこんなやりとりがあります.

GodSpy
 
Let’s move to another critique, which is that pointing out the gaps in Darwinism doesn’t make ID a full-blown explanatory theory—what would you say to that?
 
別の批判に移ろう.ダーウィニズムの欠陥を指摘したところで,ID説を証明したことにはならない,という批判があるが?

Behe
 
Well, there’s always more to be done in any theory, but I think that was another spectacular error by the judge. He confused ID with young earth creationism, and then, based on his mistaken assumption there, made another wrong assertion.
 
It’s true that if you show Darwinism is wrong it does not show that young earth creationism is right.
 
But if you show that something can’t be made by an unintelligent process, it shows that intelligence is required. Intelligent and un-intelligent processes are mutually exclusive and exhaustive.
 
まあ,どんな理論にもまだまだやるべきことはあるものだが,私はこれも裁判官のとんでもない誤りだと思う.彼はID説を若い地球の創造論(=聖書の教え通り,万物は1万年以内に創造されたとする)と混同したのだ.そしてその間違った仮定に基づいて,さらに間違えた主張をした.
 
ダーウィニズムが間違っていることを示したとしても,若い地球創造論が正しいことを示したことにはならない,それはその通りだ.
 
しかし,非知的なプロセス(注:ランダムな突然変異のこと)では何かができないことを示せば,それは知性が必要であることを示すことになる.知的プロセスと非知的プロセスは相互に排他的であり,網羅的なのだから.
 

『Dover裁判を終えて』 GodSpy.com

つまりダーウィンの進化論では,『知性が関与しない』突然変異と自然選択だけが進化のメカニズムとしているが,ダーウィンの進化論で説明できないことがあるのなら,それは『非知性』が誤っていることを示しており,よって それだけで『知性の存在』を証明したことになる.という論理です.

この Behe博士の回答は,やはり 高度な知性=神 と考えていることを示していると思います.Behe博士にとって,高度な知性=神の存在さえ示せばそれだけで十分なのであり,神がどうやって進化に関与できたのか,その方法を説明する必要性すら感じていないのでしょう.『神の奇蹟』は人間には不可能なのですから,人間に説明できなくても当然だと考えているのです.

そしてBehe博士が なぜID説に傾倒したのか,その心境の変化の原因を暗示するのは,この記事で述べている 少年時代の思い出です.

I learned about the spectacular power of Darwinian evolution at St. Margaret Mary Alacoque grade school and Bishop McDevitt high school in Harrisburg, Pennsylvania.
 
私は、ペンシルベニア州ハリスバーグの聖マーガレット・メアリー・アラコック小学校ビショップ・マクデビット高校で、ダーウィン進化論を教えられました.

『科学の正当性』 GodSpy.com

聖マーガレット・メアリー・アラコック小学校
ビショップ・マクデビット高校

Behe博士は,小学校から高校までカトリック系の学校で学んだのです.ただし,博士も述べているように,これらの学校ではダーウィンの進化論もきちんと教えていました.

ここからは 私の想像ですが,Behe博士からすれば,生化学者となり,調べれば調べるほど 生物の複雑・精緻な仕組みに驚き,カトリック教育を受けた時代に潜在意識にまで身についた神への畏怖から『これは 慈悲あふれる神の造作としか思えない』と,なにもかもがそう見えてきたのではないでしょうか.そしてその信念にとらわれると,もはや それ以外の可能性は 頭の中から積極的に排除されていったのではないかと思います.Behe博士が『高度な知性が進化に関与したというのなら,どんな方法で行ったのか?』という質問に決して答えないのも当然です.博士からすれば『神がどうやって奇蹟を起こしているのか人間には 理解も説明もできない. それと同じだ』と思っているのでしょう.

子供の頃の宗教の『刷り込み』(※)は,成人となった後も残っているでしょう.しかもそれはだんだん弱くなっていくのではなく,老境になり,知人がポツポツと亡くなっていくのを聞くと,いやおうなしに『生と死』を意識するようになり,宗教の意識が頭をもたげてくるのではないでしょうか.

(※) そう言えば,ぞるばも子供の時に 仏門入り一歩手前まで行きました. あの住職はよくこういうことを言ってました. 『おや?怪我をしたのかね.でも その程度で済んだのは阿弥陀様のおかげだよ

函館に旅行した時に,元町のカトリック教会を見学したことがあります.かわいらしいと言っていいほどの小さな教会でした.しかし中に入ると,かえって荘厳な大教会よりも,建築の隅々まで工夫された,心が洗われるような『宗教美』には感心しました.ひねくれた ぞるば ですらそう感じるのですから,子供心には もっと印象に残るでしょう.

(C) としぽ さん

科学の分野では,どんなに確立した定説・真理と思われていたものでも,新たなデータ 1つで実にあっさりと正反対にひっくり返ります

しかし,信念は,特に それが宗教に基づく信念の場合,どんな『エビデンス』が出てきてもビクともしません.
なぜなら宗教の教義は,『絶対の真理』なのですから,教義が撤回されたり,一部たりとも訂正されることもありえません. どんな科学データが出ようとも,それはデータの方が間違っているのであって,宗教は『常に正しい』のです.

ところが 科学者は,自分が信じている定説を否定するデータが出たら,悔しいですが それを受け入れるしかありません.

『現実』と『信念』との力関係が,科学と宗教とではまるで正反対なのです.

アガサ・クリスティは,この一言で科学を言い当てています.

If the fact will not fit the theory – let the theory go.
 
事実が理論と合わないのなら,捨てるのは理論の方ですよ.

『スタイルズ荘の怪事件』 アガサ・クリスティ

アガサ・クリスティ

さて,ここまで科学と宗教との関係をみてきました.

以下は ぞるばの個人的見解ですが,この記事にも書いたように 私は宗教の意義は否定していません.むしろ肯定しています.

ですから,インテリジェント・デザイン説のように,宗教理念をエセ科学に仕立てあげてしまうくらいならば,むしろ 聖書の説く通り『万物は神が創造された』と子供に教える方が はるかに有益だと思います.

子供たちには,宗教は宗教として教え,生命の尊厳を心に刻ませるのです.そしてそうすれば,混ぜると危険なものを混ぜなくて済むでしょう.

ところで,以上の話の舞台はすべて米国でしたが,日本ではどうなのでしょうか.

[続く]

Source: しらねのぞるばの暴言ブログ

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