1995年1月17日から始まる胸の痛みは、今もまだ、、、29年。合掌。

医療機関

あの日、僕は朝から大学の授業に行っていた。

関西で、震災直後から動いていたお京阪。

実家の茨木から普通に大学に行けてしまった。

さすが、商売人の街。電車をすぐ動かすなんて。

だから、あんな被害の中、1限2限の授業があった。

こんなことしてる場合やないんとちゃうかと、

誰からともなく声が上がって、午後からは休校に。

 

ヒポクラテスの銅像と『慈仁心鏡』の額があった、

大学の一階の学務課前に自治会のクラス役員が、

集まって、被災地支援をどうすべきか、話していた。

すぐそこにあるはずの神戸が、何故か、遠かった。

 

その後、3年生だった同級生たちは、

いつもの定食屋さんのテレビの前に集まった。

被災地に行こう。ボランティアだ。ってやつと、

こんな時こそ僕らができる勉強をやろう。ってやつとで、

口論にもなったりした。

 

そのどれが正解か、29年たった今も、わからない。

 

あれから大きな震災や、想像できなかったコロナ禍苦、

理不尽な研修医同級生の死や、無駄な医療による犠牲者、

予想してなかったワクチン被害の数々、

どうしても肯定できない潜れた医原性安楽死、

自分自身の仕事を否定されていると感じる両親の孤独死、等々。

数え切れないほどの消せない胸の痛みを経験してきた。

その時々で、その難問の本質に立ち向かうのか、それとも、

できる目の前の事だけに最善を尽くすのか、悩みは続く。

 

 

 

そう言えばそんな中、今日はなんと、

奥様のザイタク看取りをご一緒した前田信道キャップと

有馬富士をバックに立ち上げた『路地裏ノルキン部』3周年記念日。

 

そして、平和な今日も、僕のところには、

患者さんの求めが、アッチにコッチにあって、

僕は医師として往診する機会を失うことなく、

皆さんの為に働くことができて本当に有り難い。

 

 

あの日、阪神淡路大震災を経験したけど、僕は未だに、

どうすれば、みんなが幸せになれるか、わからない。だけども、

能登半島地震で苦しまれている皆様、心から応援しています。

ずっと応援しています。きっとまたいつか笑えますように。

僕も、ここで一生懸命に頑張ります。

 

 

 

最期まで信じたい。不器用な愛おしいボンクラを。

間違いばかりの今日をまず愛そう。

良かったら聴いて下さい。

 

 

 

 

 

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Source: 兵庫県三田市の在宅療養支援診療所「たなかホームケアクリニック」

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