導きをもたらす側と受ける側

その他
日常のなかには幾多の“導き”が配され、それらをもたらす側がある。

一方で、それらを“気づき”として得る側があることで、その導きは、はじめて意義を成すこととなるだろう。

(導きを)もたらす側と、そしてそれらを得て気づきへと昇華させる側の、各々の兼ね合い(配分)は、今や果たしていかばかりか?

かけがえのない魂がこの世に生きるとは、すなわち神そして諸霊(指導霊)たちが、その魂を(この世に)存続させ、魂の向上を図るべく、数限りなき計らいと導きを授け続けることが何より欠かせない。

しかしながら、それらを受ける側(※この世に生きる人々のことです。)は、そうした恩恵が“無尽蔵である”と、けして安易に捉(とら)えてはならぬ。

一つひとつを、その場そのとき限りとして懇(ねんご)ろに受け、自らの人生の糧として大きな気づきを得ていく、その心構えこそを、いずれの者も持つべきであろう。

“無尽蔵”と思う物事は、ときとして“尽き果てる”ことを、そなたたちは、常に自らの戒めとするがよい。

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Source: 神々からのメッセージ

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