久し振りに痛み止めを使う朝
きのうのボウリングで
少し無理をしたせいで
痛みが出てしまった
もう残り少ない痛み止め
病院に行くのが嫌で、
なるべく使わないようにしてきた
そんなこんなで、
きのうのボウリングのあとも
使わずになんとか凌いでいたが、
さすがに今朝は誘惑に負けた...
そして今日は、“母の日”
「“母の日”なんて、必要なのか?」
と、ふと思う
それは小学生のときだった
“母の日に、
お母さんにメッセージを贈る”
という、なにかそのような行事だったと
記憶している
先生が造花の赤いカーネーションを
用意していたのだが、
その“赤いカーネーション”は
すべての生徒に行き渡るわけではなかった
「お母さんがいない人は、
白いカーネーションね」
と、先生
クラスに1人、
白いカーネーションを受け取った男子がいた
なんだかかわいそうな気持ちになった
これって、今の時代、どうなのだろう...
なんとなく差別的な、侮蔑的な、
あの当時でさえ子どもながらに
嫌な感情が湧いた
そんな私には、もう母はいない
母が亡くなった翌年の母の日
私は母に“白いカーネーション”ではなく、
カラフルなカーネーションを贈った
今は様々な色のカーネーションがある
なにも、“白”でなくてもいいはずだ
花が好きだった母には、
きれいな色のカーネーションが似合う
実は“母の日”は、
あまりいい思い出がない
子どもの頃、
母にプレゼントを贈ったときは、父に、
「それを買ったお金は、
お父さんのお金だ」
と言われた
成人してからはエプロンを贈ったことがある
料理嫌いな母は、
エプロンをほとんど使うことがなかった
“プレゼントは、喜んでもらえるように”
と、相手のことを考えながら選ぶもの
私もそうだった
が、エプロンを受け取った母は、
「なにさ、
私にもっと料理しろ...って?」
と、言われ...
それ以来、
母の日になにかをする...ということが
なくなった
「お母さん、ありがとう」――
きっと、
そんな言葉を添えるといいのだと思う
が、私の場合、
本当に「ありがとう」なのか...と
いつも考える
「あんたなんか産まなきゃよかった」
そう言われた娘としては、
「生まれてきてごめんね」
そう言うほうが
正しいのかもしれないと...
もう母のいない母の日
そして、母にはなれなかった私...
乳がん治療で
子どもが産めなくなったから
“母の日”なんて、
もう私には要らないな――
そんな夕方
久し振りに観た、
怖いくらいきれいな夕焼け
そして、買っちゃった...
財布――
大切に使おう...っと
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Source: りかこの乳がん体験記
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