お盆の頃になると、決まって思い出すのは、
祖母の家に泊まり手を繋いで見る宝塚の花火と、
祖父が黙ってお参りに行く宝塚聖天さんの零戦だ。
宝塚の祖母の家に泊まり夏休みを過ごす。
それは幼稚園の頃から大学生まで続いた。
いや、よくよく考えてみれば、
研修医で病院缶詰だった2年間を除いて、
結婚するまでずっとだったかもしれないな。
小学生の頃の夏休みは、
読書すら苦手の僕が毎朝真っ先に、
祖父に言われ、新聞の経済面を読む。
全くわからなかったけど((笑))。
けど祖父に教えてもらったこの知恵は、
僕の基礎となりどうにか医師になれた。
その祖父が最後の最後まで、
身をもって教えてくれたのが、
未来への行動であった終末期リハビリ。
祖父は東洋紡の社長秘書室に長年勤め、
大きな家の庭の畑には一年中の農作物。
この畑の土いじりで心を休めていた。
その農業ノートは、過去帳と一緒に、
今も仏壇の引き出しにしまってある。
博学だった祖父の名前は、夛田博。
リハビリ室の平行棒から手を振る祖父は、最愛の祖母が亡くなり、
その後も一人宝塚の家で暮らしながら、最後のお盆もお正月も、
おそらく、心休まる畑の土いじりと、孫の僕を連れて、
零戦のある宝塚聖天さんのお参りを、したかったのだろう。
日本の歴史に深い傷をつけた第二次世界大戦の敗戦。
大切な零戦のことを常に忘れず学ぶ姿勢を示してくれた。
そんな祖父の終末期リハビリは、畑と宝塚聖天の零戦のはず。
と、終末期リハビリが本業の僕は、お盆になると振り返る。
夏、お盆になると思い出すのは、
祖母と手を繋いで見た宝塚の花火と、
祖父が黙って連れて行く零戦の宝塚聖天。
コロナのことで、分断が進むこの国を守るため、
僕らは今一度あの戦争から学ばなければいけない。
今年も、お盆にご先祖さまが帰ってくる。
尊敬する祖父とゆっくり話をしてみたい。
夏、お盆になると、なぜか、
たまらなく、逢いたい人に逢いたくなる。
なので、なんとなくこの曲です。
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Source: 兵庫県三田市の在宅療養支援診療所「たなかホームケアクリニック」
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