ようやく退会 ~母が好きだった場所~

その他

先日、ようやく退会

溜まっていたポイントも電子マネーも
ほぼ使い切った

公共料金などの引き落としも、

「もうすぐこんな日が来るだろう」

と、2年ほど前から
徐々にほかの信販会社へ変更――

2024/10/28 クレジットカード

もう私の街に、
イトーヨーカドーはない

それどころか、
北海道からもすべて撤退

セブンイレブンはいくつもあるけれど、
ほぼ行くことはない

なのでnanacoも必要ない

...ということで、
財布から1枚カードが減った...

このカードをつくったのは、
私が以前ヨーカドーで働いていたとき

乳がんがわかる前なので、
もう20年近く前のことだ

“ヨーカドーで働いていた”と言っても、
ヨーカドーの社員でもパートでもなく、
大阪のアパレル会社の派遣

  「解雇(ヨーカドーからの撤退)
   されたお蔭で、
   長年放置していた左乳房の
   “良性”のしこりを切除

   結果、乳がんだった――

   もし解雇されていなかったら、
   もっともっとがんを放置して
   身体中にがんが広がって、
   私は今頃、
   ここにはいなかったかもしれない」

  という話は、実はこの会社だ

その当時から...

いや、その何年も前から、

「私の街のヨーカドーは危ない」

と、噂されていた

私が働いていたときも、
毎年“閉店”の候補にあがっていた

が、いつもなぜか、
首の皮一枚つながっていた

そして今になって閉店...

「よくここまで存続させていたな...」

というのが本当のところ

なので、
このクレジットカードももう不要

...というわけだ

  ほかに、
  メインで使っているカードがあるし...

そのイトーヨーカドー

この街にやってきた当時は、
大きく感じた

広く感じた

“都会”な感じがした

ほかに大型店もなかったことから
集客はすごかった

が、何度も行けば、
その広さにも慣れてくる

ほかにもっともっと大きなスーパーや
ショッピングセンターもできた

あの広くて
お客さんがいっぱいのヨーカドーは、

「古くて狭い」

という印象に変わっていった

が、母には
その“広すぎない”ところが
よかったようで...

お客さんもかなり少なくなっていたので
行きやすかったのかもしれない

実際、

「駐車場が止めやすい」

そう言っていたっけ...

そんな母は、
毎年元日にくじ引きをしに
1人でヨーカドーに行っていた

お正月恒例のくじ引きだ

「これ当たったよ」

と、いつも嬉しそうに報告してきた

母は運が強かった

必ずなにか当てて帰ってきた

母が生きていたら、
ヨーカドーがなくなることを
きっと悲しんだだろうな

営業最終日に
買い物に行っていたかもしれない

「ヨーカドー、行きやすかったのに...。
 もうくじ引もけないのか...」

そう残念がっただろう

私自身、勤めていたアパレル会社が
ヨーカドーから撤退してからは
あまりヨーカドーに買い物に行くことは
なくなった

なので
ヨーカドーがこの街からなくなることに、
生活への不自由は特にない

が、“この街から”...

“北海道から撤退する”

というニュースを聞いたときは、
大きな衝撃を受けた

と、同時に、

「ようやくか...。
 よくここまでやってきたな」

という印象

そして、
亡くなった母のことが頭を過ぎった

「お母さん、
 ヨーカドーなくなる...って」

そう、心の中で語りかけた

ひとりで楽しそうに
ヨーカドーで買い物をしていた母

その姿が、
今でもまぶたの裏に焼きついている――

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Source: りかこの乳がん体験記

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