早いもので,今年もあと二か月ほどになってしまいました.記録的な暑さの日々が10月も半ばを超えてようやく落ち着き,ようやく秋らしくなってきました.
さて,亡父が残してくれていた私の幼少時の品々の中に,一冊の古い大学ノートが見つかりました.
「世界の国々」と題したノートです.
小学校5年生の頃,地理や社会がとても好きだった私と友人の水谷くんが遊び感覚で作ったものでした.
どこで調べたのか,A4サイズのノートには,世界中のあらゆる国について人口,面積,国旗,主要産業,政治などあらゆることが細かい字でびっしりと書きこまれており,自分のことながらびっくりしてしまいました.
私は子供の頃から好奇心旺盛な,学ぶことが好きな子供でした.
特に,小学校のときは友人の影響もあって,宇宙や生物,鉄道,そして世界の国や地図に興味を持ちました.私の愛読書は電車の時刻表や小学館の図鑑の数々,世界地図帳,百科事典でした.
とにかく自分の知らない世界を知り,知識が拡がるのが楽しくて仕方ありませんでした.
中学,高校では自然に勉強する癖というものがつきましたから,この歳になっても新しいことを勉強するのに抵抗感はあまりなく,むしろワクワクすることの方が多いです.
決して裕福ではないサラリーマン家庭でしたが,勉強する環境を与えてくれた両親には今でも感謝しています.
さて,あれから半世紀以上が経過,当時は想像もつかなかったような高度情報化社会となり,ありとあらゆる情報がインターネット上に溢れ,書物など読まずとも自分の欲する情報が容易かつ迅速に得られるようになりました.まさにコスパ,タイパ第一主義になったわけです.
しかし,このことが却って,地道に時間をかけて勉強するという習慣を私たちから奪ってしまった,そして図らずも自分を狭隘な世界に閉じこめ,知らぬ間に画一的,一方的な考え方しか出来ないようにさせてしまったと危惧されるようになりました.
例えばSNSでは,どうしても自分の思想信条に合致するものばかりを追いがちになりますので,いつのまにかそれが世の中の通説であるかの如く頭の中に刷り込まれてしまい,物事を客観的,批判的に見ることをしなくなりがちになります.
またインターネットの情報は何よりもアクセス性が優先されますから,書物のように長く深い考察や議論はすっ飛ばして,ユーザーに強いインパクトや心地よさを与えるような書きぶりの内容になりがちです.
医療に関する情報の中にも,長年これを生業としている者からすると,かなり怪しいものが溢れかえっています.自分に都合のいい情報だけを適当に繋ぎ合わせて,根拠の希薄なトンデモ理論を作り上げているわけです.
患者さんの中にも,ワクチンや薬や治療法についていくらこちらが丁寧に説明しても,しっかりとした根拠もなく副作用や危険性ばかりを心配したり,頑なに拒否したりする人がいますが,その理由はたいてい,「ネットに書いてあったから」ということです.
しかし,ではどこの誰が,どういった根拠をもとに発信していたのか?と聞くと,ほとんどの人が答えられません.SNSに出ている個人の体験談を読んで,皆が言っているからとか,どこそこの偉い先生も言っているからとか,というわけです.
今世間を騒がせているネット経由の若者の闇バイトや投資詐欺にしても然り,です.
少しでも冷静に考えれば,特別な能力のない人間に合法的に高額の報酬を出すような仕事や,楽して安全に大金を得る方法など,宝くじにでも当たらない限りあるはずがないということがわかるはずです.
すべてこれらは,世の中の仕組みや物事についての正しい知識や知恵がない,わからなければ専門家に聞くという方法にも考えが及ばない,そして自分にとって都合の良い情報ばかりにアクセスするので情報の真偽や善悪の区別さえつかず,簡単に騙されてしまうということになってしまうわけです.
今や勉強は書物だけで行うものではなく,インターネットを使わないことなど,むしろあり得ませんが,重要なのは,書物にせよネットにせよ,洪水のような情報の中から,いかに幅広く客観的,批判的視野に立って情報収集するか,そしてそれらを元にいかに自身の考えを構築するか,つまりその使い方次第だと思います.
いろいろなことに興味を持って勉強すると,それらが有機的につながって,教養が身につきます.
例えば今話題のアメリカ大統領選を理解しようと思えば,大統領選の仕組みはもちろんですが,欧米の近代史,ユダヤ人,キリスト教,プロテスタント,福音派,イスラム,地政学,ジェンダー,人種差別といったキーワードについて学べば学ぶほど,理解が進みます.
私の好きな英語学習についても,言語というのは単なるコミュニケーションツールではあるものの,それを学ぶ過程で語源や他の言語との相違点や共通点を知ったり,社会的背景や文化や歴史を知ったりして,驚くほど自分の世界が広がり心を豊かにしてくれます.
結局,勉強はなんのためにするのか?
いろいろな答えがあると思いますが,様々なことを能動的に,興味を持って学ぶことにより知識や知恵や技術の習得だけでなく,物事を論理的・客観的・批判的に見る思考力や判断力,問題解決能力や感性を養い,自分の人生,ひいては周りの人々をも豊かで充実したものにするためではないでしょうか?
あの有名なドラマ「ドラゴン桜」の桜木先生の言葉にもこのことが集約されていそうです.
受験や試験のための勉強は辛いことも多いですが,いったん勉強する癖がつけば,その後の長い人生においても必要な時に勉強することが苦にならなくなるでしょうし,それは誰にも奪われない一生の宝物となるのではないでしょうか.
少子化や貧困化,ヤングケアラーの問題などで,勉強する意欲,大学へ行きたい希望があっても経済的・時間的にその機会にさえ恵まれない若い人たちが激増している由々しき事態をみるにつけ,先ごろ誕生した新しい内閣には,政治とカネの問題が重要でないとは言わないにせよ,国家の未来にも影響し得るこの大問題についても,ぜひとも早急な対策を講じていただきたく思います.
Source: Dr.OHKADO’s Blog
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