どうも、ヨウ-P(@s_y_prince)ことYO-PRINCEです!
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今回は、ある認知症の方の転倒事故から考えたことについて記事にします。
テーマは、認知症に真剣に向き合うことの大切さと利用者さんとの支え合う関係性についてです。
認知症利用者との関係構築
今回取り上げる利用者さんは以前Twitterでつぶやいたことのあるこちらの利用者さんです。
認知症のおばあちゃんから最近『やっちゃん』と呼ばれます
どこの誰だかわからないままに『やっちゃん』になりきってると、その方はとても安心した表情をされます
次のステップは『やっちゃん』の情報収集をして、より『やっちゃん』に近づくことです👤#介護にまつわる小さな引き出し
— ヨウ-P (@s_y_prince) 2019年7月31日
その利用者さんはなかなかうまく言葉にできず、また、なかなか言葉を理解できません。
会話が成り立ちにくく、なんとなくで会話をすることもたびたびでした。
そんなときは心に働きかけるようなコミュニケーションを意識します。
ありきたりですけど、笑顔であったり視線であったり頷きであったり共感であったりを使いながら、出来る限りその方の安心できる存在になることに努めます。
そうやっていくうちにその方に安心感が生まれることを感じることができます。
このツイートの「やっちゃん」は近所の息子さんでした。
決して私は「やっちゃん」には似ていないそうなんですが、それでもその利用者さんにとっては「やっちゃん」になっていました。
認知症の方は、安心できる存在を身近な人に勘違いしていくことがあります。
家族や友人、近所の人たちというのは、昔の記憶が残る認知症の人たちにとっては一番安心できる存在です。
認知症の人は、安心できる人を求めています。
そんな存在になれたときに、私と認知症の人との間に信頼関係が生まれるわけです。
「やっちゃん」は、その証だと思うんです。
それでも会話は成り立たない!?
信頼関係ができたからといって、その方との会話ができるというわけではありません。
信頼関係のあるなしに関わらず、会話はちんぷんかんぷんになってしまいます。
ただ、信頼関係ができると笑顔や言葉の量や質はかなり違ってきます。
私たちは、そうした変化を感じながら、介護の仕事の面白みを感じたりしているわけです。
認知症の方の多くは、言葉にできない部分を何らかの形で発信されていて、私たちはそれを「サイン」と呼んでいます。
「サイン」を感じることが最優先で、言葉の意味はあまり深堀りしないことが多くなります。
会話が成り立つことは端からあきらめてしまうことも度々です…。
そんな方と会話が成り立ったら嬉しくてたまりませんが、そんなことがあるんでしょうか??
会話が成り立つ時間がある
そんな利用者さんも時間の経過とともに認知症が進行していかれます。
さらに会話が成り立ちにくくなっていきます。
意味のある言葉を期待することはさらに難しくなっていきます。
そんなことを感じ始めていた矢先に、転倒事故がありました。
私がその利用者さんの移動の見守りをしている際にふらつかれ転倒されたのです。
私はその利用者さんを支えきれずに尻餅をつかれるような格好になってしまいました。
結果は大腿骨骨折でした…。
介護の仕事を長く経験してこられた方なら同じような経験のある方もおられると思いますが、本当に心が痛みます。
介護は、ちゃんと見守りしていても避けられない事故があります。
そう分かっていても、何かしら自らの落ち度を反省し自責の念にかられていきます。
その事故の直後、私はその利用者さんが救急搬送されるまでの間その方のそばにいて、分かってもらえないであろう「ごめんなさいね」を口にしていました。
すると、その利用者さんはこう言われました。
「大丈夫やで。そんなふうに思わんといてよ。なんかなぁ、痛みなくなってきたわ!」
私が言葉を返します。
「いや…それは足を動かしてないからですよ…。」
そう返すのが精一杯で…。
救急車を待っている間のその利用者さんとのやりとりは、認知症があるとは思えないほどに自然で、優しさにあふれていました。
この10分間ほどの時間が、その利用者さんとの会話が成立した時間でした。
きっと私の辛そうな顔を見て励まそうと必死だったんだと思います。
そうした言葉を予測してなかった私は驚くとともに、胸に込み上げてくるものがありました。
優しい目、優しい言葉、優しい口調…、そして優しい会話…。
その利用者さんの元気な頃の姿に出会えたような感覚がありました。
それが、唯一の私の支えとなってくれたのです。
もしかしたら、築き上げてきた信頼関係のおかげで出会えた時間なのかもしれません。
利用者を支える「杖」、利用者は支えてくれる「杖」
利用者の生活を支えるのが私たちの仕事です。
支えていたはずが、一気にその方の生活を落としてしまうこともある…。
そんな場面に遭遇することもある仕事です。
私たちは利用者さんの生活を支える環境のひとつにすぎず、例えれば「杖」のようなものです。
杖を使っていても転倒されることがあるように、介護士という「杖」がどれだけ頼れる「杖」であっても転倒は起こります。
介護士という「杖」は「感情」を持っているので、どんな理由であれ、転倒させてしまったときに自責の念にかられ、もろくなっていくことが多々あります。
ご家族や他の職員にどんなふうに見られてるのだろうと考えれば考えるほどもろくなっていきます。
誰のどんな言葉も支えとなってくれず、もろくなっていきます。
そんなときに、唯一支えとなりうるのが事故に遭った利用者さんやご家族の言葉です。
特に利用者さんの言葉が支えとなってくれると、後々介護士という「杖」は強くなっていくことがあるんです。
それが今回紹介させていただいた事例なわけですが、私は認知症の方は根っこのところでは優しい方が多いのかなと感じています。
認知症になり、さまざまな環境因子の影響を受けながら、暴力をふるったり、歩き回ったり、不穏症状が現れるわけですが、そうでないときは優しさにあふれていることが多いと思うのです。
その優しさに支えられながら介護の仕事を続けていける側面があると感じています。
あれだけ会話が成り立たなかった利用者さんが、私の心を見抜くように言葉を投げかけてくれることがあるわけです。
介護の仕事への向き合い方は人それぞれかと思いますが、利用者さんに真剣に向き合えば向き合うほど、認知症の方の優しさに触れる体験が増えていくことと思います。
大変な仕事だけに、利用者さんから支えてもらうような体験は必要不可欠だと思っています。
認知症の利用者さんの言葉や表情は、特に大きな支えとなってくれることがあります。
認知症の利用者さんに真剣に向き合えば向き合うほど、こちらの真剣な思いが利用者さんに届きます。
そして、時にその利用者さんから思いもよらぬ言葉をかけてもらって、その言葉に慰められるようなことがあるはずです。
あまり多くはないかもしれませんが、そんな瞬間があるからこぞ、介護の仕事を続けていけるのかなと感じています。
辛いときほどに、利用者さんが私たちの「杖」となってくれることがあります。
介護は、介護士が支える「杖」であるととともに、利用者さんが私たちを支える「杖」となってくれる仕事なんだと思います。
まとめ
今回は、日々の業務のなかで思うことあって、一つの事例から思ったことを書かせていただきました。
転倒事故というのは避けられないことが多々あると思います。
ちゃんと介護をしていても避けられないことがあると思います。
そんなことは分かっていても、自責の念にかられ、落ち込んでしまい、それがきっかけに介護を離れる人もいると思います。
そんなマジメな方は、マジメなままでいいと思います。
割り切ったほうがいいのでしょうが、人間そんな簡単に変われませんから…。
今回伝えたかったのは、マジメに向き合うことはしんどいことも多いけど、マジメに向き合うことで利用者さんの思わぬ優しさに触れることができる機会が増えるということです。
そして、それはこれから介護の仕事続けていく上での支えとなってくれ、さらには、そうした支え合いが、きっと介護士の人間性を豊かにしてくれるはずです!
上手く言葉にできたか分かりませんが、この記事で書いたことはマジメに介護に向き合ってしまう皆様への私からのメッセージです。
自分自身に言い聞かせているメッセージでもあります…。
最後に…。
今後も、こうした転倒事故は全国の介護現場で続いていくと思います。
転倒事故においては、言うまでもなく利用者さんやそのご家族への継続的なフォローが必要不可欠です。
ここに書いたことは、介護士さんのセルフケアのための一つの捉え方にすぎず、あくまで介護士目線での記事となっています。
そんな介護士のセルフケアに対しても、施設のなかでフォロー体制があるのが理想です。
介護士のメンタルヘルスも含めての組織的なリスクマネジメントが必要ということですね。
マジメな介護士さんが介護業界を離れていくことのないように…。
Source: すべての道は介護に通ず【暮らしかるモダンなブログ】
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