※筆者より【ご質問への回答②:安楽死を選択することも、自殺と同じか】

その他

今回は、「安楽死を選択することも、霊的な世界では自殺と同じようなことを意味するのか」というご質問に対する、わたくしなりの回答を書かせていただきます。

このご質問は、以前の記事【人は死ぬとどうなるか】の後半(および )と、そのシリーズへのご質問の回答をふまえてお寄せくださったものと存じます。

上記の記事つきましては、少々衝撃的な内容も含んでおりましたため、もしかしたらお読みくださった皆様に怖い思いをさせてしまったのではないかと、わたくしとして懸念しております。

概して、自死を選びますと、いわば、通常(の亡くなり方)ではない霊の世界に行くことが定められます。そして、その死に至った経緯を、自ら生前のあらゆる場面を省みつつ、途方もなく長い時間をかけて、ゆっくりまたゆっくりと、(生前の生き方によって)心身ともに傷ついた魂は蘇生していくのです。

「安楽死」とは、一般的な教義として、「苦痛から患者を解放するために意図的・積極的に死を招く医療的措置を講ずること」を指します。

ここでまず考えていただきたいのは、自然死も含め、たとえどのような死に方をした方であっても、生前の生き方については、在りし日の姿を省みる必要がある、ということです。

人間は完璧ではございませんので、もしかしたら、たとえ“聖人”と人々より仰がれるような方であっても、ときに自らの誠実な部分、真実の姿が発揮できないことがあるかもしれません。

さらに言えば、たとえあからさまな“自死”でなくとも、生前、身をないがしろにするような(荒廃的な)生活をしたならば、場合によっては、“自死”と同じと判断されることもあるでしょう。

天はすべてを御照覧ですので、一人ひとりの“命”に対する理解や、また天より与えられた人生の貴重さをどれほど思えていたか等を鑑みて、しかるべく(死後の)審判がくだされます。

その意味では、“自分”という、大切な命を授かったわたくしたちは、同時に大きな“責任”をいただいているのです。

死したのちに、肉体を離れ霊として自由になった時点で、生前のあらゆる出来事について、原因や、それらから引き起こされた結果、そして当時の対応など、多様な側面から考察していく(省みる)ため、感情や損得抜きで客観的に、わたくしたちは(当時の状況を)見せられることになります。

自死もしかり、安楽死も、厳しいことを申し上げるならば、そこに至る“経緯”が必ずございます。

“自然発生的に”、自死や安楽死という事態になることは、通常で考えればまずあり得ません。

神は、人間でいうところの良いところも、悪い部分も、すべて裏表なく見てくださいますので、それらをひっくるめて総合的に判断し、ついには、しかるべくあの世での(あるいは死後の)“道筋”が、多くの指導霊の援けのもと、様々な意味合いで、“しっかりと”敷かれるものと思っていただければ幸いに存じます。

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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