日ごと目前の物事に注力していながらにして、心のどこかに、ちくりとした“痛み”を感じることもあろう。
その痛みは、はたして何なのか?
誠実にあろうとも欲に惑わされ、いっこうに正しき振る舞いのできぬ良心の呵責(かしゃく)か、それとも自らの持てる力を余すことなく表せぬ(=発揮できぬ)己の不甲斐なさか。
いいや、それ以上に心の痛みを成すのは、天の神々がもたらす恵みを、そして大地がそなたの命を全霊にて支えゆく想いを“そのままに”受け取ることのできない、卑屈なる己の様であろう。
今や人間は、この世に現わされる幾多の“愛”を、ただ一心に(=素直に)受け取ることを止(や)めてしまった。
溢れんばかりの愛を受け取ろうとしない、そしてわが身を神へと委ねようとしない、その意固地な存在に、いつからか成り下がってしまったのか?
本来の柔和なる姿へと回帰するまでには、途方もなくかかるやもしれぬ。
しかしながら、回帰への道のりのその“第一歩”は、日常のさなかに自らが心のままに、愛を覚える(=愛に気づく)こと。
人間は、それこそ(悲喜こもごもの)あらゆる心もようを現わすが、そのさなかに、己を卑下する痛みではなく、自らが生きていて良いのだと思える“温かみ”を得ていくことを、われら(神々)は切に願う。
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Source: 神々からのメッセージ



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