※筆者より【ご質問への回答③:弓前文書(ゆまもんじょ)は、何型で書かれたか】

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先頃、読者の方より、「弓前文書(ゆまもんじょ)は、Rinokiaの言うところの“憑依型”と“接続型(=コネクト型)”、どちらの手法で書かれたものか?」というご質問をいただきました。

わたくしが先日公開いたしました【ブログを書くことについて】の記事などをお読みくださり、神の言葉を降ろす際の“手法”が、この弓前文書では一体どちらなのか、という問いです。

弓前文書は、聖徳太子の時代の7世紀初めに、香取神宮 神主の弓前 値成(ゆま あてな)が、御神託を漢字に当てはめ文字化したものです。

その御神託とは、(弓前家の)ご先祖が受けた、天児屋根(あめのこやね)からの御言葉で、値成はご先祖よりの“口伝”を、文書化したのだそうです。

弓前 値成はこの文書を作成するにあたり、公文書を担当する渡来人の子孫たちが、倭人(わじん)の言葉を漢字に当てて文書を作っていることにヒントを得たとされています。

大きな構成としては、神よりの口伝えを漢字で書き表わした「神文(かみふみ)」と、この文書を秘文にすることなどを書いた「委細心得(いさいこころえ)」、二つの文書から成り、後者の心得については漢文表記です。

この「神文」と呼ばれる部分については、難解な漢字が目を引くばかりですが、それと同時に、その読み方が「まるで“宇宙人語”!?」と、現代の感覚からは思えてしまうほど、本当に独特の音感を示しております。

幾度も口に出してみましても、ぱぴぷぺぽのような、やはり“宇宙人語”としか思えないほど、不思議な語感の羅列となっております。

わたくしも、以前この文書を拝見しましたが、なるほど、たとえ現代と同じく手法の、漢字や読みがなを用いたのであっても、別の次元にワープしてしまったのではないかと錯覚してしまうほどの衝撃でした。

弓前文書は、その作成の過程では上記のとおり、主に二つの意識体が絡んでおります。

一つは、弓前 値成の“ご先祖”が、天児屋根(あめのこやね)の神からのメッセージを受け取り、それを口伝(くでん)としたことです。二つ目は、その口伝を後の時代に、弓前 値成が独特の手法で文書に記したことです。

そもそも、古代の人々の霊性と、後世、ひいては現代に生きる者の霊性というのは、生活様式も異なれば、神など目に見えない存在への信仰心、いわば畏怖の念などもまた少なからず異なるため、一言で“霊性”と申しましても各段の差があるかと存じます。

ですので、わたくしが以前のブログに、“憑依型” “接続型”と区分けしお伝えしたものは、現代の規範に当てはめて表現しているもののため、すでに1000年以上も前の古代に適用できるのか、正直不明瞭です。

そもそも古代にあっては、厳しき自然環境、生き延びること、ひいては種(しゅ)を残していくことなどの難しさがあるなかでは、神という大いなる存在への畏怖とともに、より一層、目に見えない力を用いていた、あるいはその効力を信用していたと思われます。

信憑の有る無しにかかわらず、そうやって先人たちは、生き延びることを形にした、その絶えざる歩みが、今に続く人類の姿です。

わたくしが思うには、古代の人々は、往々にして霊力を得たシャーマンのように、神の意識を感じ分けることに、後々の進化した人類と比してもずっと長(た)けていたのではないでしょうか。いわば、“センス(感覚)”が研ぎ澄まされていたのですね。

ですので、古代の先人たちは、自分たちが今日を生き延びるため、より能動的に、神々の意図を、自然現象などからもつぶさに感じつつ、総じて暗号のようにメッセージを受け取っていたとわたくしは考えます。

その意味では、 値成のご先祖が、生活に直結した、生きるための大切なエッセンスを得るため、神に意識を合わせようと(神からの御言葉をいただきたいと)願い、“憑依”ということよりももう少し能動的に、霊体を変容させていたとも考えられるのではないでしょうか。

さらには値成ですが、この場合にも、ただ単に優れた文書の作成能力があるだけでは、やはりこうした文書を書くこと自体、叶うものではございません。

むしろ、値成のご先祖も、値成も、神なる意識体に己の霊体を合わせつつ、遠い神世の時代(過去)と現在、そして遠い未来に向けて時空をまたぐがごとく、人間の範疇(はんちゅう)を超越した意識によってこそついには(弓前文書として)著わされたのではないかと、わたくしは考えております。

そうしますと、冒頭のような“何型”かで区分けするならば、やはり高度な“接続型”と見なすべきでしょう。

ただし、先にも述べましたが、古(いにしえ)の方々はそもそも霊体の据え方、用い方などは生活環境の違いからはじまりあらゆる部分での差異があるため、現代の規範で括(くく)ることはできません。

ですので、わたくしとしては、神の依り代としての“憑依”と、また高度な“接続”の、その折衷(折衷:両方の極端を捨て、ほどよいところをとること)の手法によって、後年、“神の真髄”と言われる文書としてなお異彩を放ち続け、引き継がれているのだと存じます。

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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