品川神社の境内社「浅間(せんげん)神社」のお参りを終え、ふと興味がわいたので境内入口の“富士塚”へ登ってみました。
“富士塚に登ることで、富士山に登ったのと同じ御利益がある”という信仰で、各地で今なお様々な富士塚をみることができます。
こちらは15mほどの高さを誇り、都内最大級だそうです。
登山の入り口には、小さな祠(ほこら)や、あるいは、修験道の開祖と言われる役小角(えんのおづぬ)と思(おぼ)しき像が、鬼の脇侍をたずさえ鎮座しております。
塚を取り巻く石段をぐるっとひと回りしますと、目指す山頂に到着します。ほんの束の時間をかけただけなのですが、自分の足で歩いて頂上に到達し、そこからの眺望ができるのは、やはり感動します。
気分が良くなったところで、にわかにわたくしの周りで、ピンと張りつめた空気感が漂いました。
もしや、と思い天へと意識を向けたところ、案の定、前回の浅間神社の御祭神“木花開耶姫(このはなさくやひめ)”より、「少しの間、この場(塚)に立ち止まりなさい。」との御命令です。
ここで再度、御言葉をいただきました。
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「新しき“芽”が、今や至るところで、(芽吹くために)その時を待ち望んでおります(※この際の“芽”とは、若い世代や、これから世の中のために顕現されていくべき物事・出来事などです)。
無論、この世は交わり(=様々なことが繊細に関わっている)ゆえに、何かの瞬間に、悉(ことごと)く(=まるっきり)変わることはありません。
ですが、長らくの天(神々)の計画のうちに、これまでの人類の叡智を(結集し)世に投じるべく、力漲(みなぎ)る“萌芽”は、いよいよ望まれます(=待ち望まれます)。
先にあなた(Rinokia)へ、“新しき美しさ”についてお伝えしたのは、すでに、人々が思考の転換、行動の改善等、この世に生きることのあらゆる価値観について、従え(捉え)直すことを、老いも若きも“総じて”おこなわねばならぬことを示すがゆえです(※人々はいまだ本腰を入れていない、ということを指します)。
次なる御代(=別次元の世)を成すべく、その勇ましき魂は、今か今かと足を踏み鳴らしております(=出たくてうずうずしています)。
“後が詰まる”とは、実によく申した(=的を得た)もので、(間違った意味で)過去にしがみつき、あるいは(変えていくべきものも)変えていかず、もはや岩窟(がんくつ)のように構える(=虚勢を張る)者は、現実の世にては、今なお一体どれほど在るのでしょうか?
(少し間を置き、戒める口調にて御話しされました。)
歳を経ることは、何より、謙虚な耳、柔和な口(優しい言葉・口調)、そして、誠の眼(=誠実な眼差(まなざ)し)をもつべき存在として、なお一層、その姿にて関わることの重大性を背負うことです。
しかるに、心を(年を追うごとに)益々窮屈にし、理解を狭め、寛容(な心)を忘れ去る、実に哀れなる姿に、われら(神々)の悲嘆は尽きません。
果ては、次世(=未来)に続くべき芽さえも(その萌芽を)妨げ、あるいは無為(駄目)にするとは、一体何事でありましょうか。
天よりの“審判”は、絶えずおこなわれております。
今この時代に覚悟をもって降り立つ(=転生した)者として、自らの日々の所業(言動)には、どこまでもその責(責任)が求められます。何人(なんぴと:誰)もけして逸脱(フェイドアウト)することは叶いません。
この意味において、わたくし( 木花開耶姫)が今ここにお伝えしましょう。
真に“変わらなければならぬ”のは、あなたがた“大人”です。」
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Source: 神々からのメッセージ
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