前回の別宮八剣宮と同じエリアにあるお社(やしろ)の一つが、上知我麻(かみちかま)神社です。上があれば“下”もありまして、本宮向かって左方の境内脇には、下知我麻(しもちかま)神社があるそうです。こちらは“旅行安全”の信仰が伝わるお社です。
一方の上知我麻神社は、御祭神が乎止與命(おとよのみこと)で、“知恵の文殊さま”とも呼ばれ、命名・学業成就について篤い信仰を集めます。
ちょうど両脇には、大国主社(おおくにぬししゃ)と事代主社(ことしろぬししゃ)が配され、毎年1月5日には、“初えびす”のお祭りが盛大に催されるということで、熱田神宮の年末年始の参拝客の多さは容易に想像ができます。
“三人寄れば文殊の知恵”というように、今の時代こそ、多くの人の知恵を結集して、長引く世界的な難局を乗り越えてまいりたいと願います。
Rinokia
これまで民の生活成らしむる(生活を形作っていた)物事が、滞り、欠き(不足し)、さらに、生きる“基”(=生活の基本・根本)が日ごと揺るがされている。
生きるうえでの(実際の生活における)欠かせぬ物事は、幾重にもこの世(社会)を取り巻く。しかしながら今や、そなたは一枚一枚、その身の皮を剥(は)がされるがごとく、日ごと感ずる底知れぬ焦燥感なかで・・・(そなたは)一体何を思うだろうか。
物事の流れーーー “仕組み”ともいうべきか、構造ともいうべきか、この世はすべて“理(ことわり=順序・筋道)”のままに、すべての存在は動きゆく。
身近な物事の、ついにはいずれかへ行き着く(※ここでは、ある結果が導かれる、ということです。)ことへの人の思考の欠如は、この世の崩壊を呼ぶ。
見渡せば(周り・世の中を見れば)、これまでも数え切れぬほどの、“教え”(教訓・気づき)はもたらされ、それらを、そならたは真に自らの血肉とすることが(=身に生かすこと)ができただろうか?
それは何もかも、天よりの“警鐘”ーーー 世はけして安易ならず(=厳しく)、人は常に自らに備わる知(知力)と体(体力)、それらの生きる力を結集してこそ生きるべき存在であることを、そなたらは、すでに幾重にも得る痛みともに、再びわが身に呼び起こさねばならぬ。
ーーー そなたよ。
人類の歩みはけして易からざる(安易ではない)。
人はまた、これよりの(この先生きる)多くの同胞(人々)のため、その身を投じていくものである。
それが、連綿と続きゆく魂たちの“絆”であり、これまでいかなる苦難ありてもなお生き延びた人類の奇跡。
ーーー 神は苦悶し、弥栄(いやさか:益々栄えること)を願うすべての魂の成りゆき(行く末・その先におこなわれる審判)の極なる(※ここでは極端な結果という意味です。)を見るにつけ、ただただ慟哭(どうこく:声をあげて激しく嘆き泣くこと)する。われら(神々)の愛しきそなたよ。
今や、そなたは、人類総じての“生きる”を導く燈火(ともしび)とならんがため(=なるために)・・・・自らの“命”を赤々と投じる(燃やす)覚悟はあるか?」 以上。 ***
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Source: 神々からのメッセージ
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