前回の記事では、 圓通寺の御仏よりの御言葉とともに、わたくしの普段の様子についてを少々書かせていただきました。
鑑定で実際にお越しいただたいた方々にはよく、「ブログの文章のイメージ(多分かなり堅い、ということだと思います。)とRinokiaが全然違っていてびっくりした!」とおっしゃっていただきます。
神の御言葉は、言葉にすること自体が難しい(※そもそも神の波動は、言葉には完全に当てはまりません。)ため、せめてそれを書き表わそうとすると、少々難しい(文語体的な)表現になってしまうのですよ、と釈明いたしますと、なるほどと、皆様ある程度納得してくださるのですが、やはり誰しも文章から書き手の姿を想像いたしますね。
ですから、「本当にあのブログを書いているご本人ですか!?」と直球的に質問されることも少なくありません。はい、本当にわたくしRinokiaが、いつも直(じか)に記事を書いております。
今後もブログで書かせていただく神の御言葉と、Rinokiaとのイメージの差はなかなか埋まらないかと存じますし、それもまた現象界ならではの不思議かもしれません。
どうぞ、お逢いさせていただいた際には、それまで抱いてくださったRinokiaのイメージと実際の様子の違いをお楽しみくださいませ。
そして、前回の記事での余談ですが、わたくしが霊視鑑定士になってから身に着いた力と言えば、何を隠そう、“人に尋ねる力”です。
肩透かしのようになんとも初歩的なのですが、目的地への道順や駅の改札までの行き方を、最初は自分でなんとかしようと試みるのですが、やはりどうしてもうまくいかないことが実は多々ございまして、こうなりますと、もう恥も外聞もありません。
それにしましても、全国津々浦々、お尋ねさせていただく方々はどの方も本当に親切で、いつも感動と、感謝の気持ちでいっぱいになります。
きっと道を尋ねるわたくしの姿は、(熱心に聞こうとして)あまりに真剣か、あるいは困り果てているように見えるのか、“この人、本当に分からないのだろうな”と不憫(ふびん)に思ってくださるようです。
そのような感じで、今日も様々な方のお支えをいただきながら明るく元気に過ごしております。少しでも、このご恩を世の中へお返ししていきたいと思っております。
さて、今回は、圓通寺の大黒堂で降ろしていただいた御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「人の心に“美しき”を、常に、そして如何(いか)に据えられるか、この心構えこそ、今よりの(今後の)世を生きるうえで欠かせぬ“礎”となるだろう。
果たして何が“美しき”かーーー
人の所作(の美しさ)は言うに及ばず、自らの内に秘めし想い、そしてそこから紡ぎ出されしおこない(※ここでは言葉と行動(=言動)のことです。)は、常に血の通った(=心がこもった)、あるいは、芯を据えた(=信念のある)ものが、真に“美しき”なり。
凛とし、澄やかなる佇(たたずま)い、そして愛に満ちたおこないは、いつしか、人々の心に新風を巻き起こす(※ここでは、爽やかな風が吹き通る、という意味です)。
何を言わずとも(あるいは誰に言われずとも)、自ずと潔(いさぎよ)く立ち振る舞う、その姿が、今この世にもっとも欠かせぬ尊き姿であろう。
大仰(おおぎょう)でなく(=大げさでなく)、見えぬ場(目立たぬ)での、真心よりのおこないの美しさこそ、蓮の花のごとく、淀(よど)みのなか(※ここでは、沼池のように混迷を極めた世の中をたとえています。)よりの可憐なる生(生命)となり、ついには世の“救い”となる。
苦しき時代にあっての“美しき”を説くとは何事かと、そなた(Rinokia)は思うか?
けしてわれら(御仏)は綺麗ごとを言うのではない。各々の振る舞い(言葉・行動)に託すのだ、自らの内に沸く“美しき”を。
各々の(人の)持つ、その素朴なる、しかるに誠実なる“美しき”は、今や世を動かすほどの膨大な力(エネルギー)となり、その花開く(=発せられる)ことを待っている。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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