“限界”という壁はあるのか...

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
自粛を余儀なくされてから約3か月...

北海道独自の『緊急事態宣言』と
国から発出された『緊急事態宣言』の間に
少し余白はあったものの、それでも余白期間は、

“以前と同じ生活”

という訳にはいかなかった

「さすがにここまで長引くと、そろそろ限界か...」

そう感じた朝

私はそこそこ、“我慢が利く”と思っていた

子どもの頃から、
“我慢することは当たり前”だとも思っていた

今回のことも、できる限りのことは
“自粛”してきたつもりだ

が、今朝のテレビを観て、苛立った

それは、
『緊急事態宣言』が解除されていない県からの脱出(移動)だ

そんな人たちの理由(言い訳)が、またすごいのだ

「不安? ないですね~。
 ただ出てきてごはん食べて帰るだけなんで。
 接触はしないので」

また、ある人は、

「家にじっとしていてもストレスが溜まるだけなんで、
 出かけてリフレッシュした方がいいと思って」

と、まるでストレスなんか感じたふうでもない

きっと、このような人たちは、
これまでも“自粛”に関係なく、
出かけていたように思えてならないのだ

「もう限界なので、遊びに来ました」

と、公園に来ている家族が
よくインタビューに答えていたが、

「“ストレスの限界”って、どこにあるのだろう...」

今朝はそんなことを思った

この、積もり積もった苛々感

これはもう、その“限界”を迎えているのだろうか

この“限界”を越えたとき、
ひとはどうなるのか...

それともひとはその“限界”を、
延々とのばし続けているのだろうか

そんな北海道

今週末も、「解除は厳しい」との声が聴かれる

私も今月いっぱいは、
解除は難しいと感じている

もう少しの間、この“限界”を
もっと先に設定しなければならないようだ

3か月近くもの間、

ほとんどひとに会わず、
ほとんどひとと会話せず、
ほとんど身体を動かすこともない

「こんなにも、
 心に何かが溜まってゆくものなのだなぁ...」

“ボウリング場が再開したときのため”と、
日々、漕いでいるバイク

そして、投球をイメージした練習も、

ここ最近は、

「なんのためにやっているのか...」

と、疑問を抱きはじめる始末

長い間、
休業を余儀なくされているボウリング場

「本当に“再開”はあるのか...」
「このまま“閉鎖”とはならないだろうか...」

と、不安しかない

このセンターが閉鎖となれば、
近くにボウリング場はない

23年間続けてきたボウリングも、やめるしかない

きっと、息苦しいのは、ストレスのせい

こんなとき、ゆっくり深呼吸が必要らしい

不安と恐れの中での日々

まだまだ続くんだな、こんな生活が...

車で海までかっ飛ばして――

と、いきたいところではあるが、
車も免許さえも持っていず...

何も考えず、
ただボーっと海でも眺めたい

耳の奥に響く、
波の音に身を委ねながら...

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Source: りかこの乳がん体験記

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