浅間神社の境内には、「山宮(やまみや)社」がございます。
鳥居をくぐって本殿(拝殿)へ向けて歩きますと、すぐに見過ごしてしまうので注意が必要です。なぜなら、境内の脇の木々がまばらに立つそのなかに山宮社はひっそりと佇(たたず)んでいるからです。
このお社は、実は、浅間神社より2キロほど離れた「山宮神社」の遥拝のために建てられたそうで、その山宮神社のある方向へ(遥拝できるように)配されております。わたくしも今回はじめて知りまして、じっくりと祈らせていただきました。
御祭神は、大山祇神(おおやまずみ)と瓊々杵命(ににぎのみこと)の二柱です。
7月に入ってなお絶え間なく、全国的に様々な事象が起こり、命の大切さをつくづく感じる日々です。
どうぞ皆様におかれましても、命を最優先に、くれぐれも安全にお過ごしくださいませ。
Rinokia
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「目前に起こる予期しない出来事や、わが身に降りかかる災禍(さいか)、人との関係における微妙な変化(影響)ーーー
世の中は、どの立場(環境)にあるとても、日々めくるめく、刻々と変化(へんげ)を現すなかでは、あなたがたはときに喜び、そしてときに悲しみます。
良いことばかりを感ぜられる(得られる)かと思えば、一転、奈落(ならく)の底へ突き落されたかのごとく、心が動じる(動揺する)こともあるでしょう。
悟りを開いた僧ならいざ知らず、人間とはこれほど繊細、かつあたかも揺れ動く振り子のように感情を左右(悲喜)に振らす存在でもあります。
それでも世の中(周囲)を見れば、明るく、そして幸せな姿を現す(見せる)人もあります。
自分もあのようになりたいと思い立ち、試みはするものの、悲しみ、苦しみから脱することが叶わなければ、ついには、“あぁ、なんと自分は不甲斐(ふがい)ないことか”と嘆く人も少なからずいるのではないでしょうか。
まさに“感情は振り子のように”―――
ですが、神はあえて感情というエネルギーを、人たる魂に配し、喜びや嬉しさ、感動といった光と、一方の苦しみ、悲しみなどの闇も、双方、創り成しました。
それは一体なぜでしょうか?
(現に)この世に今呼吸をし、生きているあなたがたには、あまり実感のないことかもしれませんが、生きていることは、けして通常(普通)のことではありません。
“奇跡”―――
このように表現できるほど、本当に稀な出来事なのです。
ですから、感情があるゆえに、人は“自分が生きていること”を何より実感できるのですし、そういった感覚があるのは、人間という生命が、生身でもある証(証拠)でしょう。
嬉しいなら、思いきり嬉しく、それを喜びとしなさい。
そして悲しいのなら、遠慮せず、大いに悲しむのです。
涙ももはや枯れ果てる(と思える)ほどに流せばよい。
感情は、社会が滞りなく機能する上では、ときに抑える(自制)することも考えねばなりませんが、少なくとも、あなたの日常において、無暗に遮る(止める)必要はないのです。
喜びも悲しみも、そして怒りさえ覚える(感じる)ことが出来るーーー それは素晴らしいことではありませんか。
なぜなら、まさにあなたは“生きている”のです。
命をこの世になお息づかせ、あなたが立派に存在する。
喜びも、そしてさらには悲しみでさえ、あなたこそが、“あぁ、そうやって自分は今も生きているのだ”と感じ、今と、そしてこれから歩む日々について、目を向けて(思いを馳せて)いかれれば良いのです。
息づくとは、巡ること。
ですから、この世において、動き(流れ)を留める(※ここでは、抑えたり止めたりすることなども指します。)ことを、神はいずれも求めません。
むしろ、あなたがたが持ち得る感情もまた、様々な“動き”を巻き起こし、そして地上(地球)全体にて“進みゆく”ことを、われら(神々)は切に望みます。」
(次回⑤へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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