ダメです。
そもそも「座禅教室」として有料なのが既に「座禅」ではない。
お金を払って座る。
払う以上、得るものを求めてしまう。
だから本来座禅ってのは、無料の開放道場で、、
警策を持つ者も、、ボランティアで、、
つまり警策をやらせて頂く者として奉仕する。
その関係で無いと、、
禅寺的意味は無くなるんじゃないですかね?
まぁ、一日中道場を開放しろとは言わない、早朝だけとか曜日だとか狭く決めておけば、、
本当に求めるものはソコに続けるでしょうね。
で、、
決まった金額の有料ではないが、、
座らせて頂く方は、座らせて頂いたことによる「布施」を納める。
そういう関係性があれば、、
それは本来の禅寺でしょうね。
まぁもう日本には殆ど無いかもですけど、、、
あるのは、有料の禅教室を開いて、「ワタシには弟子がいる」と言うような、、
生臭坊主だけです。
今でこそ坐禅につきものとされている警策であるが、その歴史は浅い。曹洞宗の開祖である道元、臨済宗の開祖である栄西の時代には用いられたという記録が残っていないことから、江戸時代になってから登場したと推測される。
※開祖の修行時代はとにかく座り続けた只管打坐ですね。
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2
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