鬱陶しい。

その他

最近、どうもこの長い髪が鬱陶しい

 2020/07/29 髪

「切りたい」

そう思いながら、何年経ったのか...


髪を伸ばしはじめたのは、20代の初め

それまではずっと、長くても肩までだった

そんな“長い髪”に危機が訪れたのは、
乳がんがわかったとき

がん発覚時、
すでに肝臓に転移が認められていたため、
手術より先に抗がん剤治療を予定していた

  そりゃあ、5年もがんを放置していれば、
  そうなる

小学生の頃からお世話になっている美容室に駆け込み、
事情を話し、ウイッグのカタログを貸してもらった

美容室の先生は、そんな私のために泣いてくれた

父の仕事の関係で、
私が幼い頃から
家族同士でのつきあいだった先生

気丈に振舞っていた私だったが、
先生の涙に私も思わず涙がこぼれた

奇しくも2週間前、
母の甲状腺がんがわかったばかり

先生には
ダブルで悲しませてしまった......

「抗がん剤をする日が決まったら、
 坊主にしてもらうためにまた来ます」

そう残して、私は美容室を出た

...が、結局、抗がん剤治療はせずに済んだ

あれから、

「切りたい」
「切りたい」

そう思いながらも、長い髪は未だ健在

昨年の“再発疑惑”では、
さすがに抗がん剤を覚悟した

「どうぜ切るなら、ヘアドネーションしよう」

と、再発が確定・抗がん剤治療が決定するまで、
伸ばせるだけ伸ばそうと思った

...が、結局、再発ではなく......

「切るなら、“ショートボブ”にしたい」

という、希望は一応持っている

が、実は、“私が髪を長くしている理由”は、
“不細工隠し”

“髪が長いと、人の目は多少髪に行く”

そんな持論である

あとは、髪で少しは顔を隠せる

  小学・中学と、
  「佐藤はブス」と男子に言われていたので、
  不細工なのは、よーく自覚している

  まぁ、子どもは残酷である

ショートは、
本当に顔立ちがきれいでなければ似合わない

だから私はショートにしない

  高校生のとき、バッサリとショートにして、
  クラスの笑いものになった苦い経験を持つ

まぁ、この髪も、
いつかは切らなければならないときが来る

ばあちゃんになってまで、
きっと長いままではいられないだろう

そう、

しわしわのばあちゃんになるまで、
私は生きるのじゃ――

  子どもがいないので孫も生まれることはない

  「りかこばあちゃん」と呼ばれることは、
  一生ないだろうが...

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Source: りかこの乳がん体験記

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