死の概念:「君が代から神が代へ」序文から

その他
「君が代から神が代へ」上下巻

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この本では、
「生」に焦点を当てるために
「死」や「老」「病」に関しての概念も
一般常識とは違う、別の角度から見ています。

今日のお試し読みは、
序文からの一部抜粋です。

・・・

自然界の中に入ってみると、
そこにはとても美しい光景が広がっています。

倒れた巨木の上に
都市を形成するように生えている様々な種類の苔や美しい高山植物、
死んだ生き物を運ぶアリたち、
森の生き物たちの栄養素となる落ち葉、
・・・
どこを見ても瑞々しく
「生と死」が混在している美しい世界を見ることができます。

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自然界においては、
死は次の生へと繋ぐものとしての役割を十分に果たしています。
死があって
生は成り立っています。
死と生は循環しています。

しかし一方で、
私たちの住む社会は、
どうでしょうか?

人は
日常生活から死を排除してしまいました。

都会に入ると、
どこを見渡しても「死」はありません。

人は病院で息を引き取り、
路上に動物の死骸があればすぐに排除されます。
枯れた植物たちはすぐにゴミとして除去されます。
スーパーで売られるお肉も
見えない場所で屠殺されてからパック詰めされてから
人の目に見えるところに置かれます。
お肉を買う人も
それがついさっきまで生きていた動物であることを
忘れているかのようです。

現代人にとって、
「死」はもはや身近な出来事ではなくなってしまったのです。

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そして、
死を避けることによって、
死に対する大きな偏見と誤解が生まれ
定着してしまいました。

「死」に対する恐怖と誤解。
現代では死は終わりを意味し、
死によってすべてがなくなってしまうという
非常に狭い視野に限定した概念が
当たり前のようになりました。

そしていま、
人は、
死の本質を理解することなく
死を避け、
怖れるようになっています。

さらに、
逆の方向に考える人たちも出てきました。
死をとても軽く捉え、
命に対して敬意を払わない人たちです。


どちらも、
死を真正面から見ていないことによる弊害と言えるでしょう。

この世に生きているうちがすべて、
死んだらお終いという誤解が生まれ、

それゆえ
視野が物質世界に囚われたまま狭くなり、

刹那的な快楽を追求し、
精神的なものよりも
物質的なものを優先するような風潮が生まれました。

死を誤解することで起こる大きな弊害は、
政治や経済をはじめ、
あらゆる分野において散見されます。

医療分野においても、
個人の尊厳よりも、
ただ肉体を死なせないことが優先されてしまった結果、
特に終末医療に関しては、
真の医療からはかけ離れてしまっている状況です。

人の活動に伴って起こっている地球環境の破壊も、
動物たちの絶滅も、
人々が狭い視野と浅い意識状態のままで、
「死」を誤解してしまったことに根本的な原因があります。

人は死んだらお終いという妄想が
問題を作り出し
その問題がさらに問題を生み出してきます。

死を理解しないまま否定することで、
人は破滅的な行動が可能になってしまうのです。

そこを根本から変えていかなければ
何も変わることがありません。

・・・続きは本書で。

君が代から神が代へ 上巻
森井 啓二
きれい・ねっと
2018-12-18


現代医学や医療では、
死は
医学の負けのような感覚で受け取ることが多いようです。

そのため、
治療する側は負けないためにも、
あらゆることを行います。

ここで気を付けなければならないことがあります。

それは、
治療する側が、
しばしば、
治療する人の尊厳よりも
死を回避させる行為の方を優先させてしまうということです。

これはよく考えさせられる問題です。

このようなことが起きる原因の一つに、
「生」と「死」という言葉が、
物質世界における長い歴史の中で
狭い視野で限定された観念を作り上げてしまい、
真の意味での理解が成されていないということがあります。

本来、
物質界における「死」は
霊界における「生」なのですが、

物質界の観点からしか見ない場合には、
この現象を絶対的な死と勘違いしてしまうのです。

文字で表現すれば、
物質界に生まれてくることは学ぶためにこの世に入ってきた「入学」であり、
死は業(カルマ)を修了した「卒業」という言葉で表した方が適切なようです。

多くの臨死体験経験者は、
死をこの世の終わりではなく、
卒業と捉えることが多いそうです。

優秀な成績で卒業するかどうかは本人次第ですが。

「死」という言葉から
「卒業」という言葉に代えるだけでも、
治療される側やその家族は
大きく楽に感じるように思います。

実際に卒業した後は、
新しい世界へ行くのですから、
家族としては温かく見送りたいものです。

「葬式」も
「卒業式」に変えるだけで、
残された家族や友人たちも癒され、
新しい世界へと旅立った本人も
より心が軽くなることと思います。

私は、
この地球という特殊な磁場の中に入ることは、
植物の種子を土に植えるようなものだと思います。

私自身幼少の頃は、
生まれる前の世界を多少覚えていましたので、
今生の生活環境に慣れるまで苦労したことがありました。

種子を綺麗な机の上に大切に置いていたら、
種子は発芽せずにそのままです。

でも、
暗くて湿った土の中に入れられると、
種子は目覚めて、
成長し、

やがて
美しい花が咲きます。

この世界は、
あらゆる精神的階層の人々が同じ肉体をまとって学びに来た場であり、
これほど成長する機会がある場は
なかなかないと思います。

「死」の本質を理解しないために
多大な時間と労力を無駄にすることのないよう
大きく迷い道に入り込まぬように

地上での限られた時間の中で
しっかりと
有意義な時間を過ごすことを
いつも心がけていたいものです。

今日もありがとうございます。
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君が代から神が代へ 下巻
森井 啓二
きれい・ねっと
2018-12-18


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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