食事療法の迷走[46] ユネスコは医療機関ではない!

健康法

ユネスコの「和食文化」登録と糖尿病食事療法

ユネスコの世界無形文化遺産として,「和食の文化」が登録されたのは,他国の例と同様,日本古来の食文化が「保存されるべき文化遺産である」であるという理由でした.
ところが,あたかも国連が日本の糖尿病食事療法を認めたかのような報道が 当時は多くみられました.

和食の良さが再評価され2013年12月にはユネスコの無形文化遺産に登録された.この事は日本人にとってとても誇らしいことである.和食は,①多様で新鮮な食材と素材の味わいを活用し,②バランスがよく,健康的な食生活で日本人の長寿,肥満防止に役立ち,③季節に合った調度品や器を利用し,季節の花や葉などを料理にあしらって自然の美しさを表現する等と特徴が述べられている.この素晴らしい和食を糖尿病の食事療法にも活用して頂きたいとの思いでテーマとした.

p.5 特集にあたって
月刊糖尿病 2015年9月号
(C) 医学出版

伝統的な日本食が最も健康的であることは諸外国からも一致して評価されている.2013 年12 月,ユネスコが和食を無形文化遺産に承認したことは,我が国の食文化に対する畏敬の念を表している.

p.35 低炭水化物食と糖尿病およびその合併症
月刊糖尿病 2015年9月号
(C) 医学出版

それなら直接説明してやろう

2015年1月に京都で第18回日本病態栄養学会学会年次学術集会が開催されました.
この学会では2つのテーマが取り上げられました.一つは『和食』,もう一つは『高齢化』です.このテーマ『和食』について,この年次学会の会長を務められた京都大学稲垣先生はこう述べておられます.

2013年12月に「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録され,これにちなんで本学術集会では,日本食文化のユネスコ無形文化遺産登録を推進してきた「和食」文化の保護・継承 国民会議(略称;和食会議)において中心的役割を果たしてこられた静岡文化芸術大学・学長(国立民族学博物館 名誉教授)の熊倉功先生,京都老舗料亭「菊乃井」主人の村田吉弘氏,京都大学大学院農学研究所・教授の伏木享先生をお招きし,「和食『文化』」についての特別講演と鼎談をお願いいたしました.

第18回日本病態栄養学会学会年次学術集会抄録集

このテーマについて,学会の冒頭に基調講演が行われました.

学会の講演を行ったのはなんと

和食について講演された先生方の内,静岡文化芸術大学の熊倉学長と,料亭『菊乃井』主人の村田吉弘氏,このお二人名前に見覚えはありませんか? そうです,このお二方は,ユネスコに『和食文化』を世界無形文化遺産として登録すべく農水省に設置された「日本食文化の世界無形文化遺産登録に向けた検討会」の会長と委員(委員名簿:PDF )だったのです.
ユネスコにおいて,『和食文化』が,どういう理由で何が登録されたのか,これを日本糖尿病学会で『直接説明してやるからよく聞け』というわけです.
以下 この講演を聴講した私の手元メモから内容をふりかえってみます.

基調講演1 静岡文化芸術大学 学長/熊倉 功夫

登壇した熊倉先生が,まず『歴史からみた和食』というタイトルで講演されました.

日本の食文化を特徴づけるものとして『口中調味』を例にあげました.
韓国のビビンバと日本のチラシ寿司とでは,前者は食べる前に完全に混ぜてしまうのに対して,後者は盛り付けそのままをとって,口の中で混ぜる日本独特の食べ方『口中調味』です.

また,日本食では,ご飯の茶碗を片手に持ち,膳に出された各皿の料理『菜(さい)』を少しずつ取りながら食べていくのが作法です.
したがって,いわゆる「ばっかり食」,つまり膳の上に出ている料理を端から順番に一皿ずつかたづけていく食べ方や,食後血糖値を上げないための「ベジファースト」だのは『日本の食文化とは相いれない』ということになります.

懐石料理の由来もまた興味深い話でした. 懐石料理とは,日本の正式な食事=「本膳」へのアンチテーゼとして始まったとのことです.本膳と懐石とを比較すると;

本膳
(C) 信長の館
懐石
(C) 河文

などと,日本の食文化を面白く語っていただきました.魅力的な分野ですね.そして

  • 『和食』とは,炭水化物/脂質/蛋白質の栄養素比率のことではない
  • 『和食』=『一汁三菜』と決めつけるのは間違い
  • 『和食』とは,食材・調理の多様性・食べ方・作法,すべてを含めた文化体系である

これを何度も強調されました.『あなたがたのユネスコ無形文化遺産の解釈は間違っていますよ』というわけです.

日本料理は懐石料理だけではないのです.日本料理のフルコースは『本膳』です.

もしも,国連が 日本の『和食』を「健康食」として絶賛したというのであれば,明らかにカロリーオーバーの『本膳』も推奨したことになります.

基調講演2 京都『菊乃井』三代目主人/村田 吉弘

料亭『菊乃井』の村田主人は『和食を世界へ』というテーマでした.村田氏は 全日本・食学会理事長でもあることから,ユネスコの無形文化遺産登録申請検討会に参加していました.

菊乃井本店

まず 開口一番,村田氏は「私の父親(二代目主人)は糖尿病でした.そして私も境界型です」と衝撃の告白.『和食を食べていれば糖尿病にならない』ということはなさそうですね.

そして日本料理の真髄は『旨味』であること,一般的な京懐石は 65品目だがカロリーは1,000kcalにすぎないのに,満足感が高いのはこの旨味を効かせているからだとの説明でした. 甘・辛・酸・苦の四味だけでなく,『旨味』を加えていること,しかも『旨味』を中心に据えているという点で和食は『料理の世界ではガラパゴス』であること,さらに京料理の基本原則は Dimension,即ち『寸法』であり,「酒一献」「茶一服」など,すべてその量が決まっており,それに合わせて盛り付け皿,椀,更には調理道具に至るまでルールが守られている,これらを含めたすべてが『日本料理の文化』なのであって,個々のメニューや材料だけを指すのではないと解説しました.

講演の締めくくりは「こんなところでいくら話を聞いていても,日本料理はわからない.ぜひ『菊乃井』にお越しを」とやって喝采を浴びていました.


お二人の講演で共通していたのは,『和食の文化とはこうなのだ』という概念です.
栄養素比率や,健康的かどうかなどには 一言も触れていません.

『和食を世界が認めた』
『だから,食品交換表が世界に認められた』

と新聞や雑誌に書いているのを見ると,UNESCOの登録申請に尽力したお二人からみれば,食文化に対する侮辱であり,実に腹立たしかったのでしょうか.

基調講演3 京都大学大学院 教授/伏木 享

基調講演3番目『和食文化の次世代への継承』では,実際に京都の 高級懐石料理1食分をまるまる分析した実例が報告されました.その結果は,全83品目・850Kcalと,(ファミレスのハンバーグがそれだけで600kcalあることを思えば)たしかにヘルシーではありますが,そのカロリー比を見ると,脂質28%,蛋白質42%,炭水化物30%であったそうです[下図].

これほど食品交換表の推奨栄養素比率とはかけ離れている京料理を,「和食」の名の元にひっくるめようとするのは,あまりにも無理があります.しかもこれは立派な『糖質制限食』なのです.

感想

この学会での基調講演の内容を一言で表現すれば

『食品交換表』と,ユネスコに登録された『和食の文化』とは直接的には何の関係もない

『ユネスコ無形文化遺産』,つまり『文化』という言葉に留意してください.『ユネスコ栄養バランス遺産』ではないのです.ユネスコはWHOと違って国連の医療機関ではないのですから.
この基調講演を最初に聴いた時には,この企画は『和食はユネスコにも登録された理想的な健康食だ』という,学会の一部の方々が吹聴してきたことを後押しするのが目的だったのだが,意に反して大失敗だったのだと思いました.

しかし,今こうやって振り返ってみると講演者の顔ぶれといい,またその講演内容といい,『世界が認めた食品交換法』を応援する企画とみるにはおかしい,むしろ正反対です.だとすれば,これは;

『ユネスコは食品交換表を推奨した』と吹聴する人の間違いを指摘するための企画だった

ということになります.この学会での基調講演は,ユネスコの無形文化遺産登録を安易に利用して食品交換表の立場を補強しようとした人にとっては『痛撃』だったでしょう.『懐石料理は糖質制限食だった』という報告は,どうみても意図的です.

にもかかわらず,学会の中で『この企画 いいですね.やりましょう』となってしまった. つまり 学会の多数の支持を得ていたことになります. 逆に言えば『食品交換表 死守派』が少数派に転落したことを意味します. これが引き金となって 以降の流れの大きな転換点になりました.

[47]に続く

Source: しらねのぞるばの暴言ブログ

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