体重の変遷 ~食べられることの大切さ~

その他

先日ダウンロードした、
“接触確認アプリ COCOA”

2020/08/06 新型コロナウイルス接触確認アプリ COCOA ①

あれからすでに27日

“濃厚接触の可能性あり”――

「万が一、そんな通知が来たら...」

と、内心、少しビビる

そんな中、数日前、スマホに、

『COVID-19接触のログ記録』

というお知らせが来ていた

「ん? とうとう濃厚接触か!?」

と、不安に駆られながら開いてみると、

“接触チェックの記録”というものだった

  2020/09/03 体重 ①

そこにはBluetoothでつながった人との接触履歴なのか、
大量の時刻が羅列されていた

「なんだ。陽性者と濃厚接触があったわけじゃないのね」

と、安堵したのだが、
それより気になったのが、その下の項目、
『ヘルスケア』

そういえば以前、
身長や体重、病歴やアレルギーなどを
入力したことがあるのを思い出す

...で、開いてみた

そこには、過去に入力した体重の履歴が、
上書きされずにそのまま残されていた

  2020/09/03 体重 ②

「4年前は42㎏あったんだ...」

私の体重変遷は、けっこう激しいものがあった

子どもの頃から細かった食

幼稚園、小学校と、
体重は普通の子より軽かった

「もっと太ってね」

と、周囲からはいつも言われていた

  あの母の手料理じゃ、
  それも仕方ないか...

中学の頃の些細な夢は、
“体重が40㎏になること”

  ちなみに、私の身長は低い

中学3年でも僅かに39㎏しかなかったが、
高校に入学し、
4月の健康診断ではぎりぎり40㎏を越える

“夢の40㎏台”である

が、3時限目の早弁

4時限目が終わるお昼にはパンを買い食い

下校時には喫茶店でパフェを食べ...

そんなことを繰り返し、
高校時代は見事に44㎏にまで“おがった”

  ※“おがる”・・・北海道弁で、
           “大きくなる”、“成長する”こと

それでも“ダイエット“なんて、
世間ではまだそれほど認知されていない時代

この期に及んでも“細い”と思っていたから、
なんとも若気の至りである

高校を卒業し親元を離れ、
憧れの都市部で下宿生活

「下宿の食事は不味い」と聞いていたが、
ここの食事が素晴らしくおいしく、
入居者がまだ食べ盛りの大学生ということもあり、
量もすごい

お蔭で1か月で5㎏太る

それでも“太っている”という自覚はない

が、さすがにスカートのファスナーがきつい

「これではいかん」と、一念発起

1か月で太った分の5㎏を落とす

りかこ、19歳のときだった

下宿で1年間お世話になったあと、
一人暮らしをはじめる

同居する親もいない

誰にも気兼ねなく、
好きな時間にシャワーを浴び、

誰にも気兼ねなく、
食べたいときに食べたいものを食べられる

“素晴らしき、一人暮らし”――

...が、これがマズかった...

仕事から帰宅後、
夜遅いにもかかわらず、食べまくった

しかも、
“バランスのいい食事”とはほど遠いものばかりだ

もちろん、見事に5㎏増える

...いや、体重計に乗っていなかったが、
少なくとも6㎏は重くなっていただろう

りかこ、二十歳

体重、50㎏――

  しつこいようだが、私の身長は低い

  このとき、
  職場の上司からは「デブ」と呼ばれる

  今なら確実に“問題発言”である

その後も10年ほど、2~4㎏の増減を繰り返す

「これじゃヤバい」

と、真剣に思ったのは、過食を繰り返したとき

食品の栄養などを自分なりに学習し、
『バランスよくしっかり食べて痩せる』ことに成功

その後はリバウンドなく、
乳がん告知まで至る

  もちろん、何度か1~2㎏の増減あり  

私は過去に39㎏まで体重が落ちたことがある

1度目は、20代の頃

痩せるのが面白くて、
ちょっと落とし過ぎたとき

そしてもう1度目が、乳がん治療中、
同居していた両親に、
「出ていけ!!」と怒鳴られたとき

このときは食べるものもなく、
“家庭内サバイバル”であった

乳がんのホルモン療法は、
「太る」と聞く

が、どうも私の場合は痩せる方だったようだ

副作用で6年間、
胸がむかつき、食べ物もおいしくなく、
食欲があまりなかったことも原因かもしれない

そんな長年の少食に胃袋が慣れてしまったせいか、
年々体重が落ちている

本当に食欲がないときは40㎏を切ることもある

3度の食事だけでは、
生命を維持するだけの充分な熱量が足りないらしい

間食で体重を維持しているのが現状なのである

まぁ、そんな私の体重変遷

食べることは生きること

そして、
“食べる楽しみ”がある

仲間と食事をすること

様々な料理が食べられること

そこには感動もある

それは、
“人間だけに与えられた喜び”なのだと思う

亡くなった母と私の口癖は、
「食べられなくなったら終わりだ...」だった

そんな思いもあったのだろう、
母は息を引き取る数時間前まで、
自分の口から食べ物を摂っていた

それは、生きるため

生きたいという希望

決して、“楽しむための食事”ではなく

食べられることはありがたいと思う

「おいしい」と感じられることは、
しあわせなことだと思う

昔、こんな質問があったっけ

「あした死ぬとしたら、最後になに食べたい?」

がんを経験した今、答えに窮する質問である――

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Source: りかこの乳がん体験記

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