牛久大仏(正式:牛久阿弥陀大佛)とは、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺によって建立された、地上120メートルにも及ぶ “世界一の青銅製立像”です。ギネス世界記録にも登録されているというのですから驚きです。
この巨大な大仏様をお目当てに行かれる方も多いと思いますが、非常に大きな立像のため、その御姿は、現地に到着するよりもかなり前の段階で見つけることができます。
“浄土庭園”とよばれる広大な園内は、大仏のみならず、季節の花々などを楽しむことができます。とても綺麗に整備されていますから、散策するにのも良いと思います。
大仏は、その御胎内へも入ることができます。建立の仕組みをはじめ、少しずつ完成へと近づく御姿をいくつもの写真パネルから拝見できます。
大仏の御姿は、外側から見ても、また内側を見ても、思わぬ驚きと発見があります。わたくしも、偉業ともいえる大事業と、それを支える信徒の篤き想いを感じ、ただただ感心しきりでした。
本日は、牛久大仏の意識体よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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(Rinokiaが尋ねました: 巨大な仏像を造る意味を教えてください。)
「なぜ、これほどまでに大きな仏像をこの世に現わすのでしょうか。
たとえ、手のひらに乗るばかりの(=ごく小さな)仏像とて、尊き信仰心によって生み出されることに何ら変わらないはずです。
それでも、なぜ、わたくし(=牛久大仏)のように、人間が考え得(う)るなかで限りなく大きく、そして限りなく難く(=難しく)、いわば想像を絶するほどの(仏の)姿が世(現世)に建てられる必要があるのか、これについて、あなたがたにお伝えいたしましょう。
神の世も、仏の世も、いわば “想念の世界”です。
あなたがたが普段持ち得る観念(意識)は、“具現化”という点では、無論そのとおりに示される(現わされる)こともありますが、ともすれば曖昧(あいまい)であったり、直接的な連鎖(関連)が見えにくいこともあります。
ですが、神、あるいは仏の世界は異なります。
『意識、即、具現』として、意識に上った(思った)ことが、すなわち、すでにその世(様相)である、というのが常(=通常)です。
ですから、われら(神仏)の世界とは、何らの虚偽や、あるいは緩み(※ここでは“間接的”という意味合いです。)の無い世界観でもあります。
この、『意識、即、具現』ということが、この人間界で(そのままの形で)起きようものなら、人間というものは、止むことなく(=一瞬たりとも休まず)心を動かす存在でもありますから、それらが一つひとつ、即座に“具現化”すれば、この人間界は、非常に混迷ともいうべき(=あらゆる物事がともに生じて、非常に混乱する)様相を呈することでしょう。
それが、冒頭にも申し上げたように、往々にして、明確には具現した状態が分からなかったり(判別が難しかったり)、あるいは、時間の経過をともない、徐々に結果としてもたらされる、そうした、この世ならではの“時間軸”とともに、(神仏の世界と比べると)穏やかに局面が進んでいくのが、あなたがたの人間界でもあります。
ですが、人間が持つ意識と、そしてこの世(の姿)は、真実(=本当は)実に緻密(ちみつ)に連動しているのですから、究極あなたがたは、この(意識と具現の)真理について、必ずやいずれにて(=何かしらで)会得せねばなりません(=よくよく理解せねばなりません)。
果たして、わたくしの真にお伝えしたいこと(=真意)は、あなたには分かりますか?」
(次回②へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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