(①よりの続きです。)
人間の創造には “限りがない”とも申せます。
これはなにも、芸術や物づくりのみに限りません。
もっと身近な、ほんの些細なる事柄に対しても、人間という生命は、本当に数限りなきほどに思いを巡らせ、その思いをいつしか形作ることができる。
この創造における、もっとも根本なるもの、あなたがた人間にこそ備わる“心”が、真実(=本当は)まるで“宇宙大”にも広がるほどの、大いなる含み(包含)をもつ、それこそを、わが姿(=想像を超えるような巨大な立像)にて現わしているのです。
この世を生きれば、生まれしより心の天真爛漫の姿は、総じて成長の過渡期に、徐々に世(社会)における自身の立ち位置を知り得ることで、少なからずの収束を見せます。
そして、置かれし環境、序列などとも相まって、人は自ずと、自らを限って(=制限して)まいるのです。
無論これら、社会(周囲)と自身との距離感、兼ね合い等を知覚(認識)することは、人間ならではの成長の証ではあります。
ですがもしかしたら、人は実際とは乖離するほどに(=現実以上に、余計に)自らを、(自分や周りが創り出した)想念の“枠”に押し込めているやもしれません。
ですから、このような、仰ぎ見るばかり(仰ぎ見るほど)の(大仏の)姿は、あなたがたの心と、そして、人類の叡智として導き出せる事柄について、まさに“無限大”であることを示すものなのです。
成すべき物事(※ここでは、日常果たすべき物事のことです。)は着実に、それでありながら、心はより広く大きく、無限を知らぬほどに解き放とうではありませんか。
(少し間を置きました。)
外へ向ける力と、内へと向かう力は、本来は同じ程度を示します。
ゆえに、あなたが、今後人生において、心を豊かに解き放ち、自らの力を信じ、より果敢にこの世を生きるとき、それにともない(=それと呼応するように)内なる力が充満してまいります。
この世の真理、仕組みは、まさに世に見える物事を自らが垣間見て、咀嚼(そしゃく)し、そして深く思考していくことで、やがては見えてくる、新境地ともいえる世界です。
それがまさに、中心の“空”(くう)ーーー
長らく、人類が追い求める“悟りの境地”とも申せるでしょう。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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