「あのとき、こうしていれば...」
「あのとき、ああしてれば...」
「この選択は正しかったのだろうか...」――
生きていれば、そんなことの連続である
乳がんになって思った
「ひとは、後悔するイキモノである」と...
がんになると、まず、治療の選択肢を迫られる
病気のことなんてわかるはずもないのに、
患者自身が希望する治療を選ばなければならないのだ
昔のように、医者が、
「この治療をします」
そう断言してくれた方がよっぽど楽なことも多かった
○まず、治療をするかしないか
(子どもを産むために、“治療をしない”という選択)
○化学療法は“ファーストライン”でいくのか、
副作用の弱い薬を使うのか
(乳がんがわかったとき、
“ステージ4”の診断を受けていたため)
○他院でセンチネルリンパ節生検を受けるかどうか
(当時、センチネルリンパ節生検は保険適用外だった)
○手術は、“全摘”か“温存”か
(“全摘”と決まっていたが、
最後の最後まで温存を望んだ
がん細胞が珍しいこと、
がんがいくつもあったこと、
がんがあった部位がよくないこと、
他院で外科的生検を受けていたことから、
温存は危険な判断だった)
○それらすべてを含め、
セカンドオピニオンを受けるべきかどうか
(主治医にもセカンドオピニオンを勧められる)
...と、ざっと思い起こしても
これほどの選択肢があるのだ
そして私は、“普通に”手術、治療をすることを選んだ
きっとその選択は、私にとってはよかったこと
なぜならそれは、そのとき、そのとき、
様々な現状を考えながら、納得して、
ひとつひとつ出した答え
その決断を尊重しなければ、
あのときの私があまりにも惨めだ
「あのとき、こうしていればよかった」
「本当にこれでよかったのだろうか」
なんて、
あとになればなんとでも思いつく
大切なのは、
“そのとき、自分自身が決めたこと”
「この決断で後悔しない」
そう思って決めたことなのだ
どっちの道に進んでも、
どの道を選んでも、きっと“後悔”はする
「これでよかったのか」と、後ろを振り返る
振り返ったとき、
「これでよかったんだ...」
そう思えることが、なにより大切なことだと思う
母が余命幾ばくもなかったとき、私は、
「どんなことがあっても後悔しないように母に接する」
と、決めた
本当は、もっとそばにいたかった
寄り添っていたかった
もっと会いたかった
が、それをしてしまえば、
母に命が短いことを悟られるかもしれなかった
だから、我慢した
“普通”でいようと思った
それはつらいことだった
悲しいことだった
葛藤でもあった
母がもうすぐいなくなるのに、
我慢しなければならないのだ
でも母に悟られるわけにはいかない
母が亡くなって5年が過ぎた
が、正直、今でも、
「あれでよかったのだろうか...」
そんな感情が頭を過ぎることがある
「いや、あれでよかったのだ。
あのとき、“後悔しないように”と、
自分が下した決断なのだ」――
そう
人は、いくらでも後悔できる
後悔する
あとで、いくらでも言い訳はつけられる
そのとき出したひとつひとつの答えに、
自信を持って、胸を張って――
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Source: りかこの乳がん体験記
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