諏訪大社下社の秋宮と春宮とは、2月1日および8月1日(秋宮例大祭の日)に、御霊代(みたましろ=御霊に代えて祀るもの)を交互に御遷座し合う関係だそうです。
“遷座”と言えば、すぐさま思い浮かぶのが、三重県伊勢神宮にて二十年に一度執り行われる“式年遷宮”なのではないでしょうか(※遷宮は伊勢神宮のみに用いる言葉で、他の神社では遷座となります)。
わたくしも、前回平成17年から9年かけての第62回の遷宮時に、幸いにも伊勢神宮へお参りすることができました。参拝の方の数はもはや桁違いで、年末年始ではないのにひたすら続く行列の長さに圧倒されました。
そしてまだ遷宮まもない時期の、簡素ながらも白く美しい社殿を拝見するにつけて、つくづくこの国の伊勢の神への信仰の深さを思いました。
さて秋宮では、やはり目に留まるのは、樹齢八百年を超えると言われる“根入りの杉”です。
ちょうど神楽殿の正面に、立ちはだかるかのように高くそびえ立っております。秋宮の境内全体が緑で包まれるという印象を受けるのは、やはりこの杉の存在が大きいのではないでしょうか。
神楽殿に飾られたしめ縄もまた見事です。出雲大社への参拝時にかの有名な大しめ縄を拝んで以来、久しぶりにこれほどの大きさのしめ縄を拝見したので嬉しくなりました。
本日は、秋宮の拝殿にていただきました神よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「今(=現代)は、何か(物事をするのに)“意味”が見いだせるか否かを、尚早に(手っ取り早く・安易に)見い出そうとすることが、殊更(とりわけ)多いように思われます。
逆に申せば、何らの意味(効果)も見い出せなければ、興味すらわかない(やる気さえ起きない)という、淡泊な心情に(すぐさま)傾くのではないでしょうか。
人間という生命が“感知”できる事柄は、けして劣っている、ということではありませんが、得てしてすべてをまかなえるわけではありません(=感知できるわけではありません)。
肉体と精神と、そして霊性と、それらすべてが(バランスよく=極端にならぬよう)兼ね合い、天にて定めし道程を辿る(=人生の学びを得たり役目を果たす)ために、必要な程度に留める(抑える、調整する)ということもあるのです。
さらには、年季(年齢※ここでは経験値、という意味です。)の深い浅いも、あなたがた(人間)にとりてはけして軽んじる(軽視する)ことはできぬでしょう。
ですから、“意味があるか否か”、あるいは“結果に結びつくかどうか”という考えが先走るばかりでは、果たして(=結果的には)巡りくる物事(人との出逢いや出来事)すら得ることも叶わないという事態に陥ることも、よくよく理解していただきたいのです。
何かの縁(=きっかけ)を頼りに、ふとその船に乗りかかるも良いでしょう。
自身の知覚に及ばぬ物事もあるのだと、潔く踏まえる(観念する)ならば、何より欠かせぬのは、そうした縁をふと手繰(たぐ)り寄せる素直さと、心意気(=気軽な心もち)も大切です。
もうひとつ、あなた(Rinokia)には、せっかくの参拝の折、是非お伝えしたいことがあります。
今しばらく(われら神の言葉に)耳を傾けるよう願います。」
(次回は①後編 に続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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