北海道③ 多賀神社【自分で“幸せになる”という覚悟をもつ】

その他

札幌護国神社の境内社には「多賀神社」がございます。

お社(やしろ)は一般宅の玄関を改築したような造りで、間口より入りお参りする形式です。

御祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)・伊邪那美大神(いざなみのおおかみ) と、さらには、かつての山鼻地区にて祀られた(旧 山鼻神社)御祭神「天照大御神・大山祗大神・天満宮大神・耳早立雄大神」が相殿として配されているそうです。

“多賀”と言えば、この伊邪那岐・伊邪那美の御夫婦神で、延命長寿や夫婦和合、また“縁結びの神”としても有名です。滋賀県の多賀大社へは、わたくしも2018年の年の瀬に伺い、印象深い神社の一つです。

こちらの多賀神社へお参りするために護国神社から歩いて向かいますと、途中の鳥居に差し掛かるあたりの地面に、とても可愛らしい“ハート”マークがいくつも見られました。器用にも落ち葉をかき集めて作られたようです。神社の遊び心が伝わってまいります。

ちなみに、こちらで授与される絵馬もハート型でしたので、良いご縁を求める方にはなお一層気分が盛り上がるモチーフですね。

本日は、“幸せになるために”というテーマで、多賀大神よりの御言葉をいただいております。幸せの形は様々にありますが、どのような状況であれ、人との良きご縁は人生の幸福には欠かせません。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「“幸せになりたいと思うのなら、自身で(自分を)幸せにすることを、まずは何よりも先に試みられなさい。

それは、己にとりて心地よいこと、さらには心躍る(ワクワクする)ことを、日常地道(堅実)に在りながらも積極的に求めることです。

この世に生きるとは、苦行することではありません。今や、幸せになりたいと思いながら(言いながら)、内実(=実際には)自らをもっとも蔑(ないがし)ろにし、苦しめ(痛め)続ける者がいかに多いことか ーーー

この事態を、われら(神々)はもっとも危惧いたします。

そして、この世は互い(の人間)が関わり合いてこその多彩な場(=空間)です。

大切な(人生という)時を費やすのであれば、僅かながらも(互いが関わることでの)さらなる喜び(良さ)を求めていくのが順当でありましょう。

(純粋な意味での)喜びは、苦しみからはけして生まれ出るものではありません。

なぜなら、苦しみという“陰”の気には、陽(明るいエネルギー)は集う(引き寄せられる)ことはないからです。

“類は友を呼ぶ”というように、まず何よりの“基”(=基点)は自分の姿であり、そこから、(その姿に)もっとも“適した”ものが巡りくる、これが世の理(ことわり=道理)です。

そしてまた、本来の“幸せ”こそ、他力ではいつしか無理を来(き)たすことでしょう。

誰に幸せ(となること)を頼ることはけして叶いません。

今世、互い縁を引き合い、ともに(人生を)歩む者同士とても同じこと。

それであるなら、自らが(自分で)幸せに“なれる”ことこそを、諸々(=様々な出来事)さなかに、しかと示してまいりなさい。

以後の世は、他でもない、自らの生き様が人生の良し悪し(=幸不幸)を定めてまいります。

ですので、(究極的には)誰に頼ることも、そして誰に非を責めることもまた、徒労(無駄)になることでしょう。

自分の人生(の幸不幸)は自らがすべて決めるーーー

そう覚悟し、そして、幸せになることを(自分の意思で)決め行動を起こすとき、すでにあなたは“幸せの域に達しているのです。」

(次回④へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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