【キリスト教】慈しみ深い人がサラリー10%みかじめ料を上納せよ、という話

タイトルで結論という、、、

【キリスト教】慈しみ深い人がサラリー10%みかじめ料を上納せよ、という話。
仏教だと、、托鉢で、、

そこに何をどれだけ入れるかは信者の自由だし、、

托鉢僧はそれを求めない。

それに対して、、

キリスト教は、10%と按分を指定して納めに来い、と言う(笑)

中々暴力的です。

『旧約聖書』の「レビ記」・「申命記」では、全ての農作物の10%が神のものであると説かれている。これを根拠に教皇庁は十分の一税を徴収した。シリア正教会は『シリア正教カテキズム』で、十分の一税を教えている。しかし、ローマ法にはこの規定がなく、あくまでも自由意志に基づく納付であるとする見解も存在し、同じキリスト教国であってもビザンツ帝国では課税されていなかった。

一方、旧西ローマ帝国および西ヨーロッパ世界では、8世紀前半までに十分の一税を教皇に収める慣習が根付いていた。585年のフランク王国の司教会議では、十分の一税の納付を怠るものは破門できるものとした。779年にはカール大帝がヘルスタル勅令を出して、十分の一税はフランク王国に住む全住人が教会に納めるべき税金であると定め、以後一般的な税の一つとなった。カロリング朝時代にキリスト教徒が司教区に払う税として定着。各地の司教が徴税の決定権を持った。

10%は神のものだ、、とか、、

それはつまり、税を取りたてる根拠として神を使っているだけで、、

つまり、土地の支配者=教会という図式で、、

神と言うモノを利用して人民を支配した。

そんなものに担がれて奉られて他国を侵略し殺戮したのがキリスト教で、、、

キリストの神は、、殺戮略奪侵略を許したというコトです。
そんなものを父なる神と崇めて信仰する。

それがどれだけ滑稽な事か、、

少しは考えてみる事ですね。
キリスト教を信じるということは、、、

殺戮略奪侵略を是としている訳ですからね。

まぁ同じことは、毘沙門天を祀った上杉謙信とか、、

八幡大菩薩を祀った徳川とか、、

「殺戮支配するものは何故神社参拝したのか」

という本をヤギ博士とやらに書いて貰いたいものですね。
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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