“3月11日”という、長い一日。

その他

あれから10年――

あの日のことはよく覚えている

私は両親に実家を追い出され、
越して間もないときだった

何気なく点けていたテレビ番組は、
大阪の情報番組

大阪のスタジオでは、
東京と中継をつないでいた

そしてそのとき、
東京で中継を伝えているリポーターが
地震に気づく

次の瞬間、
画面は東京の報道フロアに切り替わった

「かなり大きな地震です」

そんな女性アナウンサーの焦り声とともに、
報道フロア内が大きく揺れている映像が流れる

「東京で地震!?」

そのときは、そう思っていた

が、その数十秒後、
番組を放送している大阪でも揺れ出した

生放送のスタジオ内がざわめいている

「東京から大阪まで揺れる...って、
 どういうことだろう...」

そう思った数秒後だった

『カチャカチャ、ガチャガチャ...』

食器やグラスがぶつかり合う音とともに、
今度は私の家が揺れ出した

「北海道まで?
 日本中は、一体どうなっているのか...」

あのときの恐怖感...

そしてその後に、
次々と目にすることになる津波の映像

あまりの衝撃に言葉にならなかった

  2011年3月11日 午後2時46分18秒
  東日本大震災

    死者 1万6000人
    行方不明者 2525人
    災害関連死者数 3700人以上
    現在の避難者 4万人超

まだまだ癒えぬ悲しみとともに
気持ちが止まったままの人たちも多いのだろう

それでも新たな道を拓いてゆく人間の力は
偉大だと思う

2021/03/11 あれから10年(東日本大震災)

希望に満ちた明るい未来へ――

  そんな今日は、父の誕生日だ

  震災があってから、
  なんだかこの日は複雑な気持ちになるのだ

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Source: りかこの乳がん体験記

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