神の詩 第一章第二節

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神の詩 第一章第二節~第三節

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サンジャヤ

「さて、王子ドゥルヨーダナは布陣したパーンダヴァ軍を見渡し、軍師のドロ―ナに近づいて、次のように言った。(二)」
「師よ、あなたの有能な弟子であるドルパダの息子(ドリシュタデュムナ)が配置した、このパーンドゥ王の息子達の大軍を見よ。(三)」
ドローナ軍師は、
両兄弟の弓の師であり、
さらに
昔はドルバダ王とは幼馴染の親友でありながら
敵対関係にあったことがありました。

敵対関係となったドルパダ王は、
アルジュナの最初の妻の父親です。

ドローナは、
聖者バラドゥヴァージャの息子であり、
幼少時代から
ドルバダ王と仲良しで共に学んできました。

ドルパダ王子は、ドローナととても仲が良かったのです。

ところが
青年時代になると
ドローナは自分の息子に牛乳を飲ませることすら出来ないほどの極貧生活となり、
巨大な富を保有するドルパダ王とは対照的な立場になりました。

ある日
ドローナは、
幼い息子のために
ドルパダ王に雌牛を一頭譲ってくれるよう懇願しに行きました。

王は、
ドローナの願いを却下し、
ドローナの願いを一切聞くことなく
宮殿から追い出しました。

子供の頃は、
ドルパダ王子は、
大人になったら国土の半分をドローナにあげるね、とまで言っていた仲だったのです。

この扱いに
怒り、失望したドローナは、
慣れ親しんだ都から出て行くことにしました。

その道中で、
パーンダヴァ兄弟とカウラヴァ兄弟たちが
井戸の周りを取り囲んでいる場面に出くわしました。

ドローナ「子供たちよ、井戸を除いて何をしているのだ?」
子供たち「ボールが深い井戸に落ちてしまったのです。」
ドローナ「では私がボールをとってあげよう。」
ドローナは、弓を弾いてボールを射抜きました。
さらに
その射抜いた矢に次の矢を射抜き、さらにその矢に次々と矢を射抜き、
一本の竿にして、
ボールを引き上げて、子供たちに渡しました。

子供たちはこの離れ業に驚いて、
ビーシュマに報告しました。

この一件によって、
ビーシュマはドローナをクル族の武術師範に任命しました。

こうして
ドローナは、
パーンダヴァ兄弟とカウラヴァ兄弟たちの弓の師匠になったのでした。

ドローナDronaの名前は、
サンスクリット語のdru(溶ける)に由来しています。
これは
善い習慣も悪しき習慣からもなかなか抜け出せない性質を象徴しています。

ドローナは、
一通りの武術を両兄弟たちに教えた後で、
ドルパダ王を生け捕りにしてくるよう命令しました。

ドゥルヨーダナとカルナが率先して、
ドルパダ王を捕獲しに行きましたが、
王の軍勢に負けて帰ってきました。

そこで、
アルジュナが行き、
ドルパダ王を捕えてきました。

ドローナは、
子供の頃の約束通り、
ドルパダ王の国土の半分を奪うと自分の領土にしました。
これでドローナは、
ドルパダと対等になったと喜ぶのでした。

ところが
屈辱を味わったドルパダ王は、
ドローナを倒す子供が生まれるように祭祀を依頼し、
男の子ドリシュタデュムナと女の子ドラウパディーを授かりました。
ドローナは、
かつての敵ドルパダ王の息子ドリシュタデュムナが弟子入りしたときにも、
将来
自分の敵になることはわかっていました。

それでもドローナは、
惜しむことなく彼の持つ戦術を丁寧にドリシュタデュムナに教えたのでした。
これは
ドローナの公平無私な面を物語る逸話です。

そして今
この地において、
愛弟子であるドリシュタデュムナとアルジュナたちと敵として向き合うことになります。

ドリシュタデュムナDhrishtadyumnaは、
サンスクリット語のDrsta(勇敢な、自信に満ちた)と
dyumna(壮麗、栄光、輝き、強さ)を合わせた名前です。
自信に満ち溢れた輝きは、
静寂の中に輝く神の霊光を象徴しています。
パンダヴァ軍は、神の霊光に守られて配置しているのです。
父であるドルパダ王は、
後述しますが、
物質的な執着や感覚器官の制御を強化する性質の象徴ですので、
執着を捨てて感覚を制御した時に生まれる神の霊光が息子に象徴されています。

王子ドゥルヨーダナは、
「あなたの有能な弟子であるドルパダの息子(ドリシュタデュムナ)が配置した、このパーンドゥ王の息子達の大軍を見よ。」
と言っています。

王子ドゥルヨーダナは、
物質世界の代表として、
ドリシュタデュムナ(神の霊光)を怖れています。
潜在的に神の霊光には勝つことが出来ないことを
感じているからです。

さらに
この有能な弟子とは皮肉が込められた言い方であり、
ドゥルヨーダナは、
自分の軍師であるドローナ師がすべての戦術を伝授してしまったから、
あんなに立派な配置となっていると
師の公平無私な態度が自分たちに不利になることを指摘しています。

利己主義では
どんなことでも自分の都合で物事を考えてしまうのです。

これは公平無私な態度は、
神に仕える側の力となることが示唆された一節です。

これはビーシュマも含めて、
悪しき側にも良心があることを示しています。

「諸悪業皆由無始貪瞋痴」
という言葉があります。

これは人の悪業は、
長い間に蓄積された過去世からの汚れた行為によるものであり、
悪業を行う人は、
それに犯されているだけだという意味です。

それは雨の後の川の濁った水と同じです。
濁流水をよく見ると、
水に泥が混ざっているだけであり、
時間と共に落ち着けば、泥は沈み、
また綺麗な水に戻っていきます。

それと同じようにどんなに悪いことを行う人であっても、
その本性は清らかだということです。

悪しき性質も
その本性は善きものです。

ドリタラーシュトラ王も、
戦争のずっと後に改心して、
第一妃ガンダーリと共に森の中へ修行へと出かけます。

続きます。

明日からしばらくの間は
第一章の4~6節の解説になります。

「ここには、勇猛な戦士アルジュナやピーマに匹敵する弓の達人達がいる。ユユダーナ、
ヴィラータ、偉大な戦士ドルパダ、(四)」
「ドリシタケートゥ、チェーキターナ、勇猛なカーシラージャ、プルジッ卜、クンティボージャ、勇者シャイピャ、(五)」
「勇猛なユダーマニュ、勇敢なウッタマウジャ、スパドラーの息子、ドラウバディーの息子達。すべてが戦車に乗る偉大な戦士である。(六)」

これが何を意味するのか
内観しておいてください。

君が代から神が代へ 下巻
森井 啓二
きれい・ねっと
2018-12-18


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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