「365日、毎日誰かの命日」

他人に黙祷を強制する神経は異様。

   話題になっているのは、愛知県在住・60代の男性公務員が投稿した「同僚の態度が信じられない」という投書だ。

   投書から1年前、20年3月11日14時46分、職場で東日本大震災の「黙とう」を呼びかけられ、黙とうをしていた投稿者。しかし、職場にいた1人の女性が「思い出したくない」という理由で、黙とうをせず部屋から出たという。

   投稿者は女性の行為について、震災で亡くなった人や遺族に「大変失礼だ」と意見。投稿者いわく、女性に対しては以前から「デリカシーのなさ」が気になっていたものの「適当にあしらってきた」という。ただ、この黙とうの件は「受け入れられない」として、これから女性とどう付き合っていくべきなのか、アドバイスを求めた。

「黙祷しない同僚が信じられない」60代投書に「そんな気持ちで...」 読売新聞「人生案内」Q&Aに反響
3.11で黙祷をしなかった女性が信じられない――。2021年4月22日の読売新聞朝刊、有識者が読者の悩みに答える「人生案内」の欄に寄せられた投稿者の声だ。この相談に乗ったのは、ノンフィクションライターの最相(さいしょう)葉月氏。投稿者の心理を鋭く指摘した回答に、ツイッター上では「カミナリに打たれた気持ち」「色々考えさせ...
デリカシーが無いのはこの愛知県在住・60代の男性公務員です。

その回答は、、

   最相氏はさらに「365日、毎日誰かの命日」「館内放送で一斉に黙とうすれば真摯なのか」「祈りは強制されるものではないと考える人がいても不思議ではない」と指摘。部屋を出た女性が祈りを捧げているかはわからないとしつつ、「他人が土足で踏み込む場所ではないことは確か」と見解を示した。

ですね。

どんな大災害にせよ、、

居眠り運転の道路わき突っ込みでの巻き添え死とか、、

工事現場の落下物で歩行者が死んだとか、、

一つ一つの死はそれと変わらない。
東北大震災だから「黙祷!」というのは、、

ワタシには理解できない。

ですから、阪神淡路大震災の黙祷もしたことはないし、、

これからもすることはない。

関係者のみがすればよい事ですし、それが黙祷本来でしょう。
そして、災害犠牲者慰霊碑という名前の刻まれたもの、、

あれも賛成できない。

その災害だけ個々の名前を銘鈑に刻んで慰霊碑作るとか、、

しかも関連死まで含めて刻むとか、、

それを公費で出すのは特に反対ですね。

巷の不幸な単独貰い事故死と、、

この大地震での死とどう違うねん??と、、昔から疑問でした。
災害は経験というものから、データとして記録され理解を広めて対策を常に続けていく。

それだけです。

大災害が人々から忘れ去られるのが悲しいという、当事者の方が居ますが、、

人は忘れる生き物で、、

一つ一つの災害を覚えている訳ではないし、、

その方も他の災害を全ていちいち覚えている訳では無いと思います。

ですから、、

語り部よりはデータ化しキチンと記録しいつでも取り出せるものにしていく、、

それしかないと思いますね。
私は個人的に直接かかわり合いが無い限り、、、

大災害の黙祷はこれからもしないと思いますし、、

自分が万が一大震災で犠牲者になったとしても、、

どなたからも祈りや黙祷をして頂くことは必要としません。

※個人的には墓石も不要です。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか


もう50歳半ば過ぎてますからね。

随分と生きたものです。

小学生低学年の時にこの句に出会い、、

人生は50年程度だと思って生きてきました。

まだ続きそうです。
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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