英信寺の三面大黒天をはじめ、阿修羅像やまた場合によっては千手観音も、お顔の左右や頭部には複数の面(つら※お顔のことです。)を持ちます。
わたくしたち人間は喜怒哀楽の様々な感情を持ち合わせておりますから、これらの御仏の御姿に自分を重ね、人としてのあるべき姿・なりたい姿を見い出していくのかもしれません。
本日は、三面大黒天の御前にて祈った際の御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「この世(現象界)においては、身を護る(=安全の)ためにも、また昌運(成功)のためにも先々を見据えることが肝心です。
なぜならば、今まさに何をするかを選び取る(※この場合には、するしないの選択なども含みます)、ただその一つにおいても、多少の後(のち)か、あるいは遥かなる先(=将来)を見込むからこそ、目前(の行動)を決めていくゆえです。
無論、未来などはすべてが決定していることはなく、“諸行無常”(=この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはない)”というように、その時どきにおいて、この世は様々に姿かたちを変えていく、この積み重ねでもありますから、たとえ未来を明確に見据えていたとしても、何が起こるかはけして定かにはなりません。
では、よくよく先のことを考えず(見据えず)、その場の感覚、感情のままに過ごせばよいかと申せば、やはりそればかりでは立ち行かぬこともあるでしょう。
自らを支える杭(くい)を、近くに打つのみではけして安定はしません。
むしろ、四方八方に広げるように打つこと、これが肝心です。
ですから、その体勢を整えるがため、自らの目線(視点)は、間近に落としてはならぬのです。
遠く広く、先々の物事(人生)を見定めていくためには、高みよりの(=高いところからの)視点が欠かせず、このためにこそ、何より心身を身軽にしておかなければなりません。
どんよりと曇(くも)る下界(※この場合には、雲より下の世界のことです。)より、雲を超える場にてこそようやく見える、遥かなる世界があります。
そのために、自らの足元(身の回り)は努めて身綺麗にしておくことです。己の姿かたち、日常(日常生活)、そしてまた人との関わり(=人間関係)もまた、誠意(=念入りに)澄やかにしてまいりたいですね。
そうすれば、たとえどのような状況であっても、多面より(=複数の要因・状況から)物事を捉(とら)える(把握する)ことができます。
気づかぬうちに、という遅ればせの対応ではなく、“先んじて(=先手で)”おこなうことができる、この機知(=咄嗟(とっさ)に動けること)が肝要です。
そして、目配りや心配りなども含め、様々な状況にしなやかに対応する、これが、賢人(賢く生きる人)のあり方でもあり、生きるうえでの秘訣と申せましょう。
心はけして強張(こわば)らせず、そして“面”(=顔・表情)もまた、いよいよ柔和(にゅうわ)な姿の、以後(の世において)益々欠かせぬことを、わたくしども(仏たちの様々な姿)を通じ、心して(=しっかりと理解して)いただけたらと願います。」
(次回④へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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