サンジャヤ
「沈痛な面持ちで、眼に悲哀の涙を浮かべたアルジュナに、マドゥの殺戮者(クリシュナ)は次のように言った。(一)」
クリシュナのことを
マドゥの殺戮者(マドゥスーダナ)
と呼んでいます。
マドゥの殺戮者(マドゥスーダナ)
と呼んでいます。
これは
悪魔マドゥを滅した者
という意味です。
クリシュナも
かつては戦士であり、
悪魔マドゥと戦ってきたからこそ、
アルジュナの気持ちが理解できるのです。
ここで言う
悪魔
とは、
この世界のネガティブな波動、
私たちの心の中にも存在するネガティブな部分
のことを意味します。
悪魔
とは、
この世界のネガティブな波動、
私たちの心の中にも存在するネガティブな部分
のことを意味します。
アルジュナは、
自らをネガティブな闇の波動の中に追い込みながらも、
光を切望しています。
この章で
クリシュナは、
アルジュナの心の中のネガティブな部分に
光を当てて闇を滅していきます。
クリシュナは、
アルジュナの心の中のネガティブな部分に
光を当てて闇を滅していきます。
アルジュナが、
感情的に混乱していないことや
心が死んだ状態にも陥っていないことは、
「目に悲哀の涙を浮かべた」
状態から推察できます。
感情的に混乱していないことや
心が死んだ状態にも陥っていないことは、
「目に悲哀の涙を浮かべた」
状態から推察できます。
アルジュナの心の中で、
理性も情も共に鋭敏に高まっている状態になっています。
情が高まった悲しみと理性が高まった哀れみによる気持ちが、
悲哀の涙
として表現されています。
私たちは
いつでも
低次の自己、高次の自己のハタラキを選ぶことが出来ます。
いつでも
低次の自己、高次の自己のハタラキを選ぶことが出来ます。
両方同時に選ぶことはできません。
絶望を感じている状態を維持しながら
高次の自己を選ぶことは
不可能です。
絶望は、
心を閉ざす方向にあり、
高次は
心を開く方向にあるからです。
ここでクリシュナ(マドゥスーダナ)が
アルジュナの心のネガティブな部分の象徴である絶望を滅するように誘導することにより、
アルジュナは
高次へと向かう準備が整います。
人は、
低次の自己に留まる限り、
心も意識も低次の現象にしか反応できなくなります。
低次の自己に留まる限り、
心も意識も低次の現象にしか反応できなくなります。
意識が
低次に閉じこもることが習慣化すると、
美しいものを見ても、
美しくないところを探そうとしたり、
幸せな人を見ても祝福できずに妬んだりと
ネガティブになっていきます。
低次に閉じこもることが習慣化すると、
美しいものを見ても、
美しくないところを探そうとしたり、
幸せな人を見ても祝福できずに妬んだりと
ネガティブになっていきます。
真の美しさよりも、
物質的な虚飾を好むようになります。
真の富よりも、
物質的な金銭を欲しがります。
真我から遠ざかり、
自分自身を信じる心も失われ、
他人の情報に振り回されることになります。
人は、
誰でも心の中に持つこのような低次の自己から
離れる必要があります。
誰でも心の中に持つこのような低次の自己から
離れる必要があります。
アルジュナは
クリシュナの誘導によって、
低次の自己から離れることになるのです。
私たちも
この聖典を十分に理解することによって、
同じ助けが得られるよう意図されています。
ここで
何よりも必要なのは、
自分自身の神との合一を願う強い意志です。
次は
スリー・クリシュナ
「この危急の時に、天国への道を閉ざす、尊敬に値しない、恥ずべき弱気はどこから来たのか、アルジュナよ。(二)」
「プリターの子(アルジュナ)よ、弱気に陥ってはいけない。それは汝に似合わない。つまらぬ弱気を捨てて、立ち上がれ。敵の征服者(アルジュナ)よ。(三)」
よく内観してみてください。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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