武蔵御嶽神社の境内をぐるりと巡り終えたのち、御岳山の元来た参道を下りました。
登りは、先頃の【Rinokiaのひとり言】でもお伝えしたとおり、目指す山頂から鉄砲水が溢れ出るほどのザンザンの大雨のなかでひたすら歩いたためもあり、左右を眺める余裕はほとんどありませんでした。
ですので、帰り(下山)のほうが、無事に参拝を終えた安堵感も相まってよほど気楽に歩いておりまして、そのさなか、“しばし留まられよ(止まられよ)”との神の御声に、ふと視線を向けた先にあったのが、今回ご紹介する「三柱(みはしら)社」です。
わたくし自身、日々何かに没頭して歩いているからでしょうか、時折必要に応じて、神のほうから御言葉がけいただきます。ありがたくもあり、神々の絶妙な御計らいの凄さを感じます。
さてこのお社は、“大歳神(おおとしのかみ)” “御歳神(みとしのかみ)” “大山咋神(おおやまくいのかみ)”の、文字通り三柱を御祭神として祀ります。
いくつかの神社(神々)を合祀している境内社(摂末社)に見られるような、それぞれの神を祀るお社が連なっている造りです。
豊年・豊作を司る“歳神”と、家運隆盛・水源を守護する“山の神”の取り合わせで、古くより日本の農耕にまつわる信仰を物語るようなお社です。
こちらでは、前回の“二柱(ふたはしら)社”へのお参りの直後だったこともあり、“三”の数字にちなみ御話しくださいました。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「“三”の意味(意義)とは、何より、“多方にての(=多方向からの)”見据え方が叶う(=出来る)ことである。
(※筆者注:神の御言葉からしますと、単に3という数字だけでなく、複数の広がり・支えを、三が象徴するという点で、非常に重要というニュアンスでした。)
これらは、果てはあらゆる“可能性”を導き出す、誠に広がり豊かな道筋ともなるだろう。
たとえば、そなた(Rinokia)の(今日)登りし、(御岳山の)山頂に至るにも、複数の道程(登山コース)がある。
たとえ一つの物事にも、それを結実させる(達成・成就する)には、思う(予想)よりなお幾多の道程(=方策)が導き出せるのだ。
ゆえに、日常における様々な障壁ーーー たとえ立ち行かぬことあろうとも、(状況に応じて適宜)切り替えつつ、また次の術(すべ:やり方)を模索することが実に肝要となる。
一人の模索が、後世においてまた別(の人)の模索となり、豊かなる実り(=結実)をもたらすこともある。
それならば、この世のすべての者の生き方は、次なる世への“糧”(生きる術)ともなる、この世はなんと“支え支えられる”、素晴らしき(魂たちの)学び舎(まなびや)だろうか。
自らの歩む日常のさなかに、“出し惜しみ”(※ここでは、やりたいことも制限することも含みます。)はしていないだろうか。
己の人生の糧のみならず、こうして、果ては後世に引き継がれゆく、人類の叡智(=知恵)となるのなら、民よ、“頂上”(=目標・目指すところ)へは、失敗を恐れず、心赴くままに幾通りも登るが良い。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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