神の詩第二章第二~三節 1

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神の詩第二章第二~三節

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スリー・クリシュナ
「この危急の時に、天国への道を閉ざす、尊敬に値しない、恥ずべき弱気はどこから来たのか、アルジュナよ。(二)」
「プリターの子(アルジュナ)よ、弱気に陥ってはいけない。それは汝に似合わない。つまらぬ弱気を捨てて、立ち上がれ。敵の征服者(アルジュナ)よ。(三)」

クリシュナは、
弓を手離しふさぎ込むアルジュナを鼓舞します。

スリー・クリシュナのスリー(Sri)とは、
ヒンズーの神や聖者、聖職者に付ける敬称のことです。

まず、
アルジュナが第一章の第31節から45節までの後半部分で提示した
さまざまな不安や問題に対して、
まだクリシュナは答えていません。

あの時点で
アルジュナの不安に一つ一つ答えることは、
根本的な解決にはならないからです。

燃え盛る火から多くの煙が出ている場合、
煙だけ追い払っても、
意味がありません。

煙で見えない火元を消せば、
煙は断つことができます。

それと同じように、
さまざまな不安に個別に対処していくよりも、
不安を発生させた根源に対処すればよいことになります。

まずクリシュナは、
弓を手離したアルジュナの心を再び奮い立たせます。

戦士であるアルジュナが
弓を手離すというのは、
自らの使命を放棄することを意味しています。

放棄する前までのアルジュナは、
今回の戦争も満を持して臨んでいたのです。

「満を持す」とは
弓を最大限に引いて張りつめた状態を言います。

あとは
狙いを定めて矢を放つ直前の状態を示しています。

ところが
満を持していたはずのアルジュナは、
その弓を手離してしまいました。

人は、
この地上に使命と目的を持って下りてきます。

それを放棄することを、
クリシュナは恥ずべきことであると明言します。

ここで
アルジュナのことをプリターの息子と呼びます。

プリターは、
アルジュナの母クンティのことであり、
クリシュナの父の姉です。

前回は、
母の名前を出して、
無償の愛の気持ちを引き立たせていました。

今回は
母の名前を出して、
その高貴さを思い起こさせています。

アルジュナは、
高貴なクシャトリヤ階級(王族・武人階級)の血筋に生まれています。

社会的な階級ではなく、
精神的な階級
という観点から観ると、
心の弱さは、
人間の高貴さとは相いれないことを示しています。

弱った心は、
人生に問題を作り出します。

心が弱ってしまうのは、
自分の心に備わっている神から授けられた本当の力を
忘れていることに起因します。

クリシュナは、
ここで
アルジュナを
「敵の征服者よ。」
と鼓舞します。

これは、
自分の中の弱い心を克服し、
悪しき部分を征服しなさい
という思いが込められています。

物質界での誘惑に身を任せ、
自らの神性を省みない状態から
霊性進化の道へと心を向けるには、
神性を思い出そうとする強い決意と勇気が必要です。

これこそが
地上に下りた人が、
神から授けられた資質の一つです。

地上に下りた人間は、
その強い地場にひきつけられて、
輪廻転生から解脱して
再び天界へと還ることが困難になります。

そこで、
地上に下りる前に神から授かるものがあります。

日本では、
「三種の神器」
と言われています。

三種の神器は、
日本神話において
天孫降臨の際に
天照大神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けたとされる三種類の宝物
として表現されています。

八咫鏡(やたのかがみ)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)

「三種の神器の本質」を理解しておくことは、
とても重要なので、
このブログでも何度か言及していますが

ここでもう一度
確認しておきましょう。

三種の神器の本質は、
地上にある物質ではなく、
エネルギーにあります。

物質は
あくまでそのエネルギーの性質を忘れずに継承するための
形代です。

では、
これらはどこにあるのでしょうか。

地球上のさまざまな場所、
日本の山岳地帯にも、
実際にその象徴は存在します。

でも、
生きた三種の神器が存在します。

それは、
実は
私たち一人ひとりの魂の中
です。

私たちが
神の領域から離れて地上に降りてきたときに、
再び神の領域に帰るために必要なものが神から授けられて、
私たちの魂の中に
内在されているのです。

それが
神話では、
天孫降臨の際に、
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天照大神から授けられた三種の神器という
象徴的な記述によって記されています。

三種の神器は、
様々な解釈がなされていますが、
私たちに内在する三種の神器は、
人が「神が代」へ戻るために
必要なものが
象徴されているのです。

この三種の神器は、
とても深い意味が隠されているのですが
簡単に言うと次のようなものになります。

八咫鏡(やたのかがみ)
「鏡」は、ありのままの姿を正しく見ること。つまり、再び神へと向かう意志を象徴しています。私たちが神の分け御霊であることを忘れないようにする道具です。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
「勾玉」は、智慧・純粋理性・純粋知性の象徴です。天から降臨してもこれを保つことができれば、再び神の世界へと帰ることが容易になります。地上での神聖さを保つ道具です。

草薙剣(くさなぎのつるぎ)
「剣」、これは勇気です。一度地上に降りてしまうと、再び神の世界に帰るには勇気が必要になります。剣は勇気を保つ道具です。

続きます。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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